それぞれのバトン 塩田武士さんは「リレーのトラウマ」にめげず、子を思う

全国の工務店を掲載し、最も多くの地域密着型工務店を紹介しています

絆を取り戻す機会にも

   上記エッセイのタイトルは「それぞれのバトン」である。昔(自分)と今(娘)の運動会を振り返りながら、筆者は「子ども」の気持ちをおさらいし、「親」の思いをあれこれ想像する。では、結語にある「我が子に託すバトン」の意味するものは何か。本作のキーワードである。

   塩田さんはそのバトンを、子どもに渡すまで「落とさずに持っていたい」と書く。他者に抜かれてもいいからバトンだけは落とすまい、しっかり握っていたいと。私はしばし考え、ここでいうバトンとは、親の愛とか、親子の絆とかいったものかなと考えた。的を射ているかどうかは筆者に聞くしかないが、大きく外れてはいないだろう。

   どの親子も参加できる、あるいは参加を強いられる運動会は、同じイベントに関わりながら愛情を確認する場となる。ある親子には、絆を取り戻すチャンスかもしれない。

   思えば、子ども心に刻む運動会の記憶は鮮烈だ。行事全体からすれば取るに足らないハプニングにも、塩田さんのように傷つく人がいるし、徒競走3位の黄リボンをアルバムに貼り付けた私のような者もいる。当日の空模様、団体戦の勝敗、お弁当の良し悪し...些細なことで全体の記憶がピン止めされることがある。

   が、そんな吉凶もやってみなければ分からない。集団行動が苦手な私があえて言うのだが、運動会とはいえスポーツの祭典、参加することが大切なのだ。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

姉妹サイト