絆を取り戻す機会にも
上記エッセイのタイトルは「それぞれのバトン」である。昔(自分)と今(娘)の運動会を振り返りながら、筆者は「子ども」の気持ちをおさらいし、「親」の思いをあれこれ想像する。では、結語にある「我が子に託すバトン」の意味するものは何か。本作のキーワードである。
塩田さんはそのバトンを、子どもに渡すまで「落とさずに持っていたい」と書く。他者に抜かれてもいいからバトンだけは落とすまい、しっかり握っていたいと。私はしばし考え、ここでいうバトンとは、親の愛とか、親子の絆とかいったものかなと考えた。的を射ているかどうかは筆者に聞くしかないが、大きく外れてはいないだろう。
どの親子も参加できる、あるいは参加を強いられる運動会は、同じイベントに関わりながら愛情を確認する場となる。ある親子には、絆を取り戻すチャンスかもしれない。
思えば、子ども心に刻む運動会の記憶は鮮烈だ。行事全体からすれば取るに足らないハプニングにも、塩田さんのように傷つく人がいるし、徒競走3位の黄リボンをアルバムに貼り付けた私のような者もいる。当日の空模様、団体戦の勝敗、お弁当の良し悪し...些細なことで全体の記憶がピン止めされることがある。
が、そんな吉凶もやってみなければ分からない。集団行動が苦手な私があえて言うのだが、運動会とはいえスポーツの祭典、参加することが大切なのだ。
冨永 格