Number(11月8日号)の「上方アウトサイダー」で、関西出身の作家、塩田武士さんが運動会のことを書いている。言わずと知れた文藝春秋のスポーツ専門誌。誌面は一流アスリートの物語やインタビューであふれるが、真剣勝負や競技会とは縁の薄い私のような一般人にとって、親しみのあるスポーツイベントといえば運動会だろう。
「子どもができると、時に半生を歩み直すような状況に出くわすが、学校行事はその最たるものだろう。私には保育園に通う幼い娘が二人いて、秋の運動会は我が子の成長を肌で感じる大切な機会だ」
この冒頭に続いて、「家でのだらしない姿からは想像もできない」子どものがんばりが語られる。ただし、塩田さんが我が子そっちのけで声援を送ったのは、最年長学級のクラス対抗リレーだった。アンカーの園児二人が並んでゴールテープを切るような熱戦で、思わず目を潤ませる先生や保護者もいたそうだ。
「年齢に関係なく人の『精いっぱい』をつないでいくリレー競技に、心が洗われた」
ここで話は30年前に飛ぶ。もちろん筆者自身の運動会である。
「振り返ればリレーには、いい思い出がなかった。小学三、四年生と、二年連続で失態を演じたのだ」
怪我がなければ御の字
塩田さんが思い出すのは、小学3年で始まったクラス対抗リレー。足が早かったので、「先行逃げ切り」を狙った担任から第一走者に指名された。ところが先頭でコーナーに突っ込んだ時に気が緩み、バトンを前方のアウトコースに投げ出してしまう。次々と抜かれ、敗因となった。
4年生では「追い上げ逆転」をもくろむ担任から栄えあるアンカーに選ばれた。先頭でバトンを受けたはいいが、緊張で足の回転が鈍り、2位だった走者にあっと言う間に抜かれた。当然、5年生の時はクラス代表に選ばれず、10歳かそこらで早くも運動会嫌いになったそうだ。ここで、本作の主題に関わる考察が登場する。
「小学生のころはヘマをする度、親に恥をかかせてしまったと悔やんでいたが、おおよそ三十年経って人の親となった今は、当時の両親の気持ちがよく分かる。子どもにケガがなければ御の字なのだ」
他方、2年前の保育園の運動会では、会場設営の手伝いで「小説家の頼りなさを嫌というほど味わった」という。大量の小太鼓を軽トラで運ぶのに際し、筆者が担った役回りは太鼓の落下時に備え、自転車で軽トラを追いかけるというものだった。会場でも、スルスルと電柱にのぼって万国旗を括りつける職人風の父親の活躍を、ただ眺めるだけの塩田さん。そのくせ腰痛には襲われ、ご褒美のおにぎりだけもらって帰宅した。
「相変わらず運動会に関わる全ての場面で冴えない私だが、亡くなった自分の両親もこうして学校行事を手伝ってくれていたのかと思うと、感謝で頭が下がる。リレーが苦手な小説家でも、我が子に託すバトンぐらいは落とさずに持っていたい」