タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
コンサートの楽しみは、ステージ上の歌や演奏を見たり聞いたりすることだけではない。
その場の空気を味わうこと、今、この時間にここにいることの臨場感や共有感を確かめること。その日、その会場、その客席だからこそ生まれる一体感。コンサートが「一期一会」と言われるのは、二度と同じ空間は生まれないからでもある。
そこにもう一つの要素が加わると、その関係は更に濃密なものになる。
それは「歌うこと」だ。
ステージと一緒になって歌う。
その歌声がコンサートの空気を作って行く。
2018年10月31日、横浜アリーナで行われた小田和正のコンサート「Kazumasa Oda Tour2018 ENCORE!!」はその最たるものだった。
「今」を生きる、「今」を歌う
小田和正は、1947年生まれ。ツアー中の9月に71歳を迎えた。
2000年代に入ってから、彼を語る時には「史上最年長」という形容が定番になっている。
一昨年に発売されて一位になったベストアルバム「あの日 あの時」に代表されるCDの売り上げやランキング、2011年に行なわれたドームツアーなど、どれも自身が持っていた最年長記録を更新した。70代最初のツアー全48公演は全て完売。台風や地震に見舞われる中での46公演。大阪の2公演が来年に延期になった今回のツアーは「史上最年長アリーナツアー」となった。
もし、「振り返る資格」というのがあるとしたら何歳くらいなのだろう。
「資格」という言葉が適切でなければ「適齢期」と言ってもいい。それにふさわしい年齢。あるいは自然にそうなっていく時期である。
中には若い頃から懐古的だったとか「あの頃は良かった」が早くから口癖のようになっている人もいるのかもしれない。
でも、多くの人が「振り返らない」とか「立ち止まらない」「走り続ける」ことを自分に課しながら生きているようにも思う。特に、ある程度のキャリアを重ねたアーティストにとっての現役性というのは、その戦いと言って過言でない
「今」を生きる。
「今」を歌う。
「今だから出来ること...忘れないで」「もうここへは戻れない」と歌う大ヒットした代表曲「キラキラ」もそんな一例だろう。
彼が50代半ばになってからの曲だった。
「振り返ること」と「振り返らないこと」
「振り返ること」と「振り返らないこと」--。
小田和正のキャリアはその二つの要素で成り立っているようだ。
たとえば、オフコース時代の曲をセルフカバーしたアルバム「LOOKING BACK」を発売したのは96年、40代最後の年だ。
対照的なのが、50代最初のアルバムだった2001年に発売された「個人主義」の中の「the flag」である。
当時のインタビューでは「バブルの崩壊で苦い思いをしている同世代に聞いてほしかった」という話をしていた。東北大から早大の大学院建築科で学んだ友人たちの多くが建築業界に就職、50代になって「肩たたき」に会うなど、様々な転機に差し掛かっていた。
若かったころの僕ら。「汚れなき想い」と「譲れない誇り」を胸に「この国を変えよう」と語り合っていた日々と「変わってしまった」僕ら。歌の中で彼は「僕はまだ諦めない」「戦える武器を見つけてここに並ばないか」と歌っていた。タイトルの「the flag」は、「時の風の中」で揺れている「あの時掲げた僕らの旗」だった。
「振り返りつつ」も「戻らない」。
彼は50代以降もずっとそうやって生きてきたように思う。
小田和正のコンサートには合唱がつきものだった。それは彼の方から求めることもあれば、客席から自然発生的にそうなることもあった。
そんな例でファンの誰もが思い浮かべるのが1982年6月30日のオフコースの日本武道館だろう。当時、日本の音楽史上最多となった10日間公演の最終日。アンコール最後の曲「愛を止めないで」が終わった後のBGMの「YES-YES-YES」が客席の大合唱となった。誰が指示したわけでもない一万人近い大合唱は今も語り草になっている。その歌詞も「振り返らないで」だった。
その一方、60代最後のツアーとなった2016年のツアー「君住む街へ」は前半がほぼオフコース時代の曲。自分の音楽人生を真正面から振り返ったようだった。
でも、泣いてもいいんだと思わせてくれる
今年のツアー「ENCORE!!」は、70代最初のツアー。「ENCORE!!」というのは、人生のアンコールという意味もあるように思った。
「次がいつになるかという約束が出来ない年齢になった」というMCは、毎回繰り返されていたのではないだろうか。
同世代や同時代を生きた音楽仲間や友人知人の訃報。意識的に「振り返る」ことをしなくても、そういう人たちとの時間が思い出される年齢。生きて来たこれまでと、今生きている自分、そして、この後に残されている時間。どんな風に生きてきて、どんな風に終わって行くのか。恒例となった全国各地でのふれあい映像を挟んだコンサート時間は3時間20分。何と32曲に及んだ曲の多くがそういう曲が選ばれているようだった。
オフコース時代の曲「生まれ来る子供たちのために」の中の「力の限り漕いでゆく」「その力を与え給え」や「君住む街で」の「その生命が尽きるまで」などという歌詞が、当時とは違う切迫感を持って聞こえたのは筆者だけではないだろう。
「みんなで作って行くコンサートにしたいと思います」と彼が言ったのはコンサートが始まってすぐだ。彼の合図で1万人を超す観客が声を合わせる。2008年のシングル「今日もどこかで」では、客席のコーラスも歌声を「会場のみんなとバージョン」としてCDになった。
みんな一緒に歌うだけではない。客席に降りて行き歩きながら「ラブストーリーは突然に」を一人一人にマイクを向けて歌わせる。最終日らしくステージ横に集まっている全国のイベンターも合唱に参加する。「また会う日まで」ではミュージシャンがアカペラコーラスに参加していた。声を張り上げるとか、大声で歌うというのではない。「心のハーモニー」とでも言おうか。合唱がこんなに美しく聞こえるコンサートがあるだろうかと思った。
振り返ることで何かが浄化される。
どんなに強気に、どんなに躓いて、どんなにはみ出しながら生きて来たとしても、誰も間違っていない。全てが許される。音楽がそう感じさせてくれる「教会」のような場所というのだろうか。宗派もないし、教祖もいない。誰かに"捧げる"祈りも"拝む"こともない。でも、泣いてもいいんだと思わせてくれる。
70代の到達点。「優しさ」というのは、こういうコンサートを言うのだと思った。
(タケ)