(2018年11月1日付記事から続く)「牧神の午後への前奏曲」という斬新なオーケストラ作品で音楽界に衝撃を与え、「青い鳥」のメーテルリンク原作のオペラ「ペレアスとメリザンド」で一流作曲家の仲間入りをしていたドビュッシーは、その成功に胡坐をかくことなく、さらに自分の美学を反映させた、彼の名づけによると「交響的素描『海』」という大規模な作品の作曲に取り掛かったわけですが、実は、この時期のドビュッシーは問題を抱えていました。
「ダブル不倫」の末に泥沼の離婚訴訟
作品の名声によってプライベートにも注目が集まるのは古今東西世の常ですが、有名作曲家となったドビュッシーが『海』を作曲し始めた1903年ごろに抱えていたのは、女性問題でした。
作曲家としては、フランスのレジオン・ドヌール勲章を受章するなど、順風満帆だった彼ですが、家庭では、その4年前の37歳で結婚したマリー=ロザリー・テクシエ(通称リリー)と冷え切った関係になっていたのです。その時すでにドビュッシーは、生徒の母親であった裕福な銀行家婦人、エンマ・バルダックに惹かれ始めていたのです。今風に言えば「ダブル不倫」となる関係に陥り、さらには、ドビュッシーは駆け落ち同然で、妻を捨ててエンマと暮らし始めます。残されたリリー・テクシエはなんとピストル自殺を図り、一命はとりとめたものの、当然泥沼の離婚訴訟となります。現代日本のワイドショーネタのようですが、この話は、「バルダック婦人」が裕福だったということもあって、批評家に総攻撃され、ドビュッシーの親しい友人たちにも「金目当ての不倫」と受け取られ、彼らはパリには居づらくなります。
ドビュッシーは、相当魅力的な男性だったらしく、リリーと結婚したときにも、前の恋人が世をはかなんで自殺未遂を起こした・・・という話がありましたから、女性泣かせな面があったのですが、今回は、既婚であったため立派な「不倫」でしたし、有名作曲家として、周囲からの注目度が格段に違ったのです。
創作力があふれていたこの時期のドビュッシーですが、1904年は、驚くほど発表作品が少なくなっています。