元プロ野球選手の村田修一さん(37)と岩村明憲さん(39)が2018年11月3日、東京・六本木ヒルズアリーナで開催されたイベント「TOKYO MEET UP SPORTS 2018」の中で、トークショーを行った。
ともに日本代表経験を持つ2人は当時の思い出と、2020年の東京五輪で活躍を期待する選手について語った。
2009WBC期間中に「フーターズ」で内野手会
村田さんは2008年の北京五輪の野球日本代表、2009年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)代表メンバーに、岩村さんは2006年、2009年のWBC代表メンバーに、それぞれ選出された。
2009年にはともに内野手としてWBCメンバーに選ばれた2人だが、村田さんは大会開幕を前に右太ももの肉離れで、チームを離脱した。その後に同じ内野手のメンバーが自身を気にかけてくれたことがうれしかったと話した。
「怪我して次の日くらいに、当時(読売)ジャイアンツの小笠原(道大)さん、トレーナー、岩村さんが内野手会をすると。『Hooters(フーターズ)』かどこかで(笑)。『修がああいう怪我をしたけども、今残っているメンバーで日本の内野を守り抜こう』という話をしてくれたみたいで...」
岩村さんも2006年のWBCの大会中に、村田さん同様に右太ももの肉離れを起こし、ベンチ待機となった。だからこそ、村田さんの気持ちは「痛いほどわかる」という。
「時が経っているから話せることで、最初の頃は悔しくてですね。ただ、僕も経験があるからこそ、『どの選手が出てもみんなで同じ気持ちで』というのは(内野手会で)伝えましたね」
2009WBC決勝、イチロータイムリーの陰で
岩村さんは2009年のWBC決勝・韓国戦に出場し、優勝に貢献している。延長10回表に、米大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手が勝ち越しタイムリーを放ったシーンは、野球界屈指の名場面としていまなお語り継がれている。このとき、現・福岡ソフトバンクホークスの内川聖一選手とともにホームに帰ってきたのが、岩村さんだ。実はこのとき、ちょっとした「事件」が起こっていた。
「めちゃくちゃうれしくて(内川と)ハイタッチをするんですけど、僕は一応先輩なんですけど、内川に言われたのが『やったぜ!岩(がん)ちゃん』。(当時は)正直『なんかこいつ言ったな』って思っていたくらい(の記憶)なんですけど、後日(内川から)告白されました。『岩村さんすいません』と」
当時を懐かしみながら、「全然いいんですけどね」と笑いながら振り返った。イチロー選手のタイムリーについては「ほんとに日本のファンの方が喜んでくれたシーン。やっぱり最後はイチローさんでよかったなと思います」と感慨深げだった。
東京五輪の注目株、ヒントは「背番号」
2020年の東京五輪では、野球が12年ぶりに正式種目として復活する。2人は特に活躍を期待する選手の名前を挙げた。
岩村「独断と偏見で、(東京ヤクルトスワローズの)山田哲人に頑張ってもらいたい。ヤクルトの後輩であり、(自分もつけていた)背番号1番の後輩でもある。彼が躍動する姿を見たいですね」
村田「僕も、(現役時代に背番号)25番つけていましたし、今年(ジャイアンツで)岡本(和真)があれだけ頑張っていましたので、2年後活躍してほしいです。それから横浜(DeNAベイスターズ)の25番で、日本の4番を打っている選手(筒香嘉智)もいますしね。そういう選手たちに頑張ってもらいたいと思います」