家族の思い出を創る
私は新しい手帳を買うたび、真っ先に血縁者の誕たな生日を新年齢と共に書き込むことにしている。半生を振り返れば、親の誕生日はある年を境に書く必要がなくなり、入れ替わるように子や孫のそれが増えていった。誕生日は、両親や生地と同じく自分では決められない。だからこそ特別で、個人最大の祝日なのだ。
誕生日を手料理と結びつけた宮下さんの随筆は、ここは表現を慎重にすべきだが、いかにも「主婦作家」らしい。わが子それぞれの誕生日を、各自の好物で祝う。そして子どもが独立しても、家族の習わしは「元誕生日」の祝宴として引き継がれていく、数十年の営みである。その喜びは、男でも女でも、自ら祝宴の台所や食卓に携わってこそ深いものになる。
もちろん、ケンタッキーやマクドナルドがいいという子もいる。その場合は、大量にテイクアウトし、「好きなだけどうぞ」とやればいい。いつもの外食ではなく、家に持ち帰って祝うという非日常のひと手間が、共通の、何か大切なものを残すことだろう。
家族のかけがえのない思い出は、無意識に「できる」ものではない。手料理と同じく、たぶん、心を込めて「つくる」ものなのだ。
冨永 格