■「認知症の人の歴史を学びませんか」(宮崎和加子著、田邊順一写真・文、中央法規出版)
評者自身、社会保障の仕事を続けて30年を超える。振り返ってみると、この間、少子高齢化等の影響もあって社会保障を取り巻く環境は激変した。それを受けて、医療も、介護も、年金も、その制度は大きく変わった。
とりわけ、高齢者の介護の分野については、家族介護から介護の社会化(介護保険)へと大きな転換が図られ、介護現場の在り様も全く変わった。
30年前、北欧の高齢者介護は、日本の関係者にとっては「憧れ」だった。評者自身、幾度か訪問し、そのつど、日本との格差にため息をつきながら、きっと、いつか追いついてやると、思いを新たにしたものだ。
30年が過ぎた今、比較してみると、日本の介護サービスのメニューや水準は北欧諸国と遜色ないところまで来ている(税負担が足りていない点については相変わらずだが・・・)。
数十年という時間軸で考えると、世の中は、変わらないように見えて、大きく変わる。
本書は、高齢者介護の重要なテーマでありながら、2000年に介護保険がスタートするまで、寝たきり対策の陰で、目覚ましい進捗がみられなかった認知症対策について、これまでの40年間を振り返るものだ。
認知症対策も、介護保険が実施され、グループホームや小規模多機能施設などが制度化される中で、急速に進んできた。今日の状況しか知らない者からみると、30年ほど前には、こんなにも悲惨な状況が日常的であったことに驚く方も多いかもしれない。
しかし、看護職として現場に向き合ってきた著者は、今だからこそ、認知症の人々のこれまでの歴史を学ぶことが必要だと説く。
「認知症を取り巻く状況は、よい方向に変化してきているとはいえ、まだまだです。認知症の人がどこでも安心して生き生きと自分らしく生きられる状況ではけっしてありません」
「その悲しい歴史を忘れてはいけない、繰り返してはいけない」
本書では、認知症の歴史に関する著者の解説や著者自身の実践の中での様々な体験に加えて、当時の老人病院や特別養護老人ホームの実情、そして、地域で暮らす認知症の人とそれを支える家族の様子が、写真という形で示されている。よりリアルに認知症の人々の過去の厳しい歴史を知ることができる一冊である。
評者が入省した1980年代半ばにおいて、高齢者の介護と言えば、寝たきり老人対策だった。「『寝たきり老人』のいる国いない国」(大熊由紀子著)、「医療と福祉の新時代――『寝たきり老人』はゼロにできる」(岡本祐三著)など、北欧の取組みが紹介され、どうしたら寝たきりとなるのを防げるかが課題だった。
現在の厚生労働省の若手でも知らない人が多いだろうが、過去、長い間、認知症の人は、特別養護老人ホームでも積極的な受け入れが行われなかった。認知症は医療の対象となる精神疾患であり、医療機関で対応されるべきだというのがその理由である。認知症の人が一般的に受け入れられるようになったのは、1980年代半ば以降である。
その頃、高齢者の介護は家族の責任という意識の下で、家族が自宅で対応していた。筆者が自らの体験として記しているように、頻繁な徘徊などに悩んだ家族は、自宅や離れに「座敷牢」を作り、外から鍵をかけ、出られないようにすることも稀ではなかった。
家族がギブアップする深刻なケースは、精神病院や老人病院が受け入れていた。本書では1973年に出版され、反響を呼んだ朝日新聞記者の大熊一夫氏の「ルポ・精神病棟」が取り上げられているが、そこには、鍵のかかった雑居部屋に閉じ込められた認知症の人のむごい実情が描かれている。
1986年になって旧厚生省に「痴呆性老人対策推進本部」が設置され、翌年、報告がとりまとめられた。その当時、評者自身は直接の担当ではなかったが、同期の友人がバタバタと徹夜で作業をしていたことを覚えている。今、振り返れば、その頃からようやく認知症対策が本格化していったのだ。