前回、交響詩というジャンルを創出することになったリストの「レ・プレリュード」を取り上げましたが、今日は、1歳違いのロマン派の作曲家、ショパンの「前奏曲集 作品28」を取り上げましょう。「ピアノの詩人」という言い方をされるショパンですから、もちろん、ピアノ独奏作品です。
ショパンはこのほかにも単独の前奏曲として作品45の1曲と遺作の1曲、全部で26曲の前奏曲をその生涯で書いたのですが、今日は1つの作品番号のもとにまとまっている・・・これすなわち、ひとまとまりの曲集として楽譜が出版された、ということなのですが・・・作品28の24曲だけを取り上げます。なぜなら、この「24曲」という数字が重要だからなのです。
ハ長調、イ短調...24の「調」すべてで前奏曲を作曲
クラシック音楽における24という数字は、もともと2,3,4,6などの倍数であり一年の月の数やキリストの使徒たち、神話の神の数である12のさらに倍の数、ということで縁起のいい数でもあるのですが、一番重要なのは、それが「すべての長調と短調の数」である、ということなのです。ハ長調、イ短調・・といった「調性」がクラシックの音律・・いまや全世界を支配しているといってもよい「コード」ですが、24個あるということなのです。すなわち、ショパンは、24の調すべてで前奏曲を作曲し、ひとまとまりの「前奏曲集」としたのです。
これには先例があります。その昔、まだピアノが登場する前、おもに伴奏のためのハーモニーを奏でる楽器として存在した「チェンバロ」の時代、楽器の調律は現代と異なっていました。そのため、使える「調」が限られる、という制約があったのです。それを大胆にも超越して、すべての長調と短調を鍵盤楽器で使えるように調律した楽器を想定し、24の調すべてで、曲を書いて曲集とした音楽家がいます。
「音楽の父」J.S.バッハです。この曲集は、「よく調律された鍵盤楽器のための」という名前がバッハによってつけられているのですが、現在の日本ではそのピアノの調律方法と同じ「平均律クラヴィーア曲集」という名前で呼ばれています。大バッハは、史上初めて、「すべての調推し」をやってのけたのです。
この「平均律クラヴィーア曲集」は、バロック時代には普通だったプレリュード、すなわち前奏曲と、フーガ――日本語では「遁走曲」と訳語がありますがあまり使われず、「フーガ」とそのまま呼ばれることがほとんどです――この2曲の組み合わせで調の数と同じ24組、すなわち48曲が書かれていて、しかも、第1巻と第2巻があります。バッハが、鍵盤楽器で「すべての調を美しく弾きこなす」ことにいかに情熱を燃やしたかがわかります。
そして、ショパンは、毎朝、ピアノに向かうと、この大バッハの「平均律クラヴィーア曲集」をいつも弾いてから、一日の音楽活動を始めていたのです。
全曲通して演奏すると30分を超えるボリューム
ベートーヴェンの古典派の時代にはもう時代遅れとなっていた「フーガ」をショパンがたくさん作ることはありませんでしたが、天才的なひらめきで短い曲を作ることにも長けていたショパンにとって、「前奏曲」は魅力的な題材だったといえます。
ショパンは前奏曲を作りためて、そしてほぼ間違いなくJ.S.バッハへのリスペクトを込めて、すべての調による「前奏曲集」を編んだのです。調の並び方はバッハのものとは異なっていますが、「前奏曲集 Op.28」は、ショパンにおける「ハーモニーの小宇宙」ともいうべき曲集です。
しかし生前、ピアニストとしてのショパンは、決して前奏曲集を全曲演奏することはなく、せいぜい4~5曲を、まとまって演奏するのみでした。現代でも、4~5曲の抜粋ということはよく行われますが、最近では、24曲をまとまって演奏するほうが多くなっているように感じられます。全曲通して演奏すると、30分を超えるボリュームですが、ショパンの前奏曲にかけた情熱を表現したいと挑戦するピアニストが増えたのです。
ショパンの「前奏曲集」は、日本の胃腸薬のCMでも有名な第7番、「雨だれ」で知られる第15番などの人気曲も含まれていますし、第7番や、「葬送」というニックネームでも知られる第20番などをテーマ曲として、モンポウや、ラフマニノフ、ブゾーニといった、やはりピアニストであり作曲家でもあった人たちが、後に「ショパンの主題による変奏曲」を作り上げています。
鍵盤音楽の金字塔であるJ.S.バッハの「平均律」の精神を受け継いだショパンの「前奏曲集」は、これもまた輝かしいピアノのレパートリーとなり、さらに後世の音楽に多大なる影響を与えたのです。
本田聖嗣