「個人的実感」から生まれた歌
そういう意味で言えば、彼らはずっと「個人的」だった、と言っていいと思う。バンド、そしてソングライターの桜井和寿と曲が乖離してない。思ってないことや感じてないことは歌ってきていない。それだけを歌っている。2000年代に入って9.11のマンハッタンのテロの後に出たシングル「君が好き」のカップリングの「さよなら2001年」や04年のアルバム「シフクノオト」の中の「何のために戦うのか」と歌った「タガタメ」のような曲もある。07年のアルバム「HOME」の中の「あんまり覚えてないや」は認知症のカップルが主人公だった。
若者が大人になり社会と向き合ってゆく。
そんな年齢とともに変わって行く「個人的実感」から生まれた歌。それでありながら、自分のことだけに終始していない。言葉とメロディーがどこまで親和しているか、歌としてどう聞こえるか。どこまで聞き手のものになってゆくか。その繊細なバランスが彼らの懐の深さであり魅力に思えた。自分に子供が生まれてから彼らの良さを再認識したという業界人の声をしばしば耳にするようになったのは2000年代になってからだろう。
ただ、そうした中で彼らのことを「ロックバンド」という目で見ていた人は多くないかもしれない。
厳密に言えば「日本で使われている意味の」と付け加えた方が良さそうだ。長髪のハードロックバンドやビジュアル系、縦ノリのビートバンド。「お前ら」を連発し客席を煽る攻撃的で挑発的なライブのスタイルが日本での「ロックバンド」だとしたら、彼らのライブはそうではない。歌がどこまで届いているか、客席と共有されているかが前提になっている。「ライブバンド」という呼称には、ライブは盛り上がるけどCDでは曲が物足りない、というもう一つのニュアンスもあった。
新作アルバム「重力と呼吸」は、そういうバンドの音ではない。曲と一体になった演奏、共に歌っているような演奏。それでいてまぎれもない「ロックバンドの音」だった。
「重力と呼吸」は、2015年に発売になった前作アルバム「REFLECTION」以来になる。
その年、彼らはアルバム発売前にも関わらずアリーナツアーに出た。その後にはドーム&スタジアムツアーも行った。2016年はホールツアー、2017年はホールツアーと25周年のドーム&スタジアムツアーもあった。しかも、その合間を縫って、エレファントカシマシ、スピッツやくるりやスガシカオ、RADWIMPS、ONE OK ROCKら世代に捕らわれないバンドやアーティストとステージを共にした。「重力と呼吸」の一曲目「Your Song」や二曲目の「海にて、心は裸になりたがる」は、そうしたツアーやライブ活動から生まれたアルバムという証明のような曲だった。