人生は死の前奏曲に過ぎない、という壮大なテーマ
19世紀初頭の生まれであるリスト(1911年ハンガリー生まれ)は、欧州革命の導火線となったフランスで若いころ活躍し、そういった「トレンド」も敏感に感じていたと思われます。ピアニストとして、華麗な技巧と優れた外見で、サロンに集うご婦人たちを魅惑しながら、ハンガリー生まれといってもドイツ系の音楽家であるリストは、着実に「作曲家」としての歩みも進めます。
すでに、フランスでは1803年生まれのベルリオーズが活躍し、リストが成人するころ、代表作「幻想交響曲」を完成させていました。まだまだ題名に「交響曲」を戴いているものの、それぞれの楽章は言葉による具体的描写が添えられ、抽象的絶対音楽である「交響曲」から、物語に沿った形の管弦楽曲、が作られ始めていたのです。つまり、ベートーヴェンが9曲書き残した交響曲によってこの「交響曲」というジャンルは一つの頂点に達し、これを超えるには、物語・・文学と言い換えてもいいでしょう・・に沿った形の曲が必要だ、と文学が芸術活動を牽引した「ロマン派」の時代では考えられるようになったのです。
リストがまだまだピアニストとしても活躍していた30代半ば、フランスの詩人、ジョセフ・オートランの「四大元素」という詩に基づく男声合唱曲を構想します。しかし、後年、その曲の序曲として書かれた部分・・・ここには「四大元素」の中の第2楽章にあたる「大地」、第4楽章にあたる「星々」のモチーフが多くちりばめられていたのですが、・・・これを独立させて、単独の管弦楽曲に仕立て上げることを思いつきます。リストはすでに40代になり、ドイツ・ヴァイマールの宮廷楽長として招聘され、腰を落ち着けて作曲家としての活動を本格化させていました。独立した序曲は、オートランの師にあたる政治家でもあった詩人、アルフォンス・ド・ラマルティーヌの作品「新瞑想詩集」の中の「レ・プレリュード」に新たに触発され、リスト自身の手によって、それぞれの楽章に言葉が書き添えられます。
その楽章とは、
1. 人生の始まり~愛
2. 嵐
3. 田園
4. 戦い
というもので、交響曲にもありがちな緩―急―緩―急というスタイルをとっています。しかし、この曲は、交響曲のように楽章間を中断して演奏されず、連続して、続けて演奏されます。その中で、変奏されてゆくモチーフと相まって、「巨大な変奏曲」に聴こえるスタイルになっています。
初演は、1854年2月23日、ヴァイマールにおいて、リスト自身の指揮によって行われました。その初演の3日前、リストは手紙の中で「今度の私の新しい管弦楽作品『レ・プレリュード』」と書いていましたが、演奏会前日22日の現地ヴァイマールの新聞には「『レ・プレリュード』~交響詩」と掲載されています。具体的な文学的表現を伴った「交響的作品」である「交響詩」という分野が、ここに誕生したのです。リストは、人生は死の前奏曲に過ぎない、という壮大なテーマを扱いつつ、「交響詩」というクラシック音楽の新たなジャンルをも生み出してしまったのです。
「レ・プレリュード」はリストの13曲ある交響詩の中でも、もっとも頻繁に演奏される人気曲となっています。金管楽器による壮麗なフィナーレが、勇壮な音楽として、ナチスの宣伝フィルムなどにも使われる、という歴史もありましたが、リストの哲学的理想を具現化したといってもよいこの曲は時代を超えて、人々を感動させています。
本田聖嗣