前々回、作曲者が「前奏曲」という名前を付けた、通常では「鐘」と呼ばれているラフマニノフのピアノ曲を取り上げましたが、今日も同じく、作曲者が「前奏曲」と名付けた単独の曲を取り上げたいと思います。
しかし、この「前奏曲」は、オーケストラのための曲で、原題のフランス語は複数形になっています。日本語は複数形が欧米系言語と異なり、単独曲なのに、「前奏曲たち」と翻訳するのもおかしいので、通常は原語のフランス語の複数形、「レ・プレリュード」(単数形だと「ル・プレリュード」となります)で呼ばれることが多くなっています。作曲したのは、ロマン派の巨匠、フランツ・リストです。
「交響曲」が「古臭くて長い形式」ととらえられていた
リスト、というと、前半生のイケメンピアニストとして活躍していた時代の印象が強く、また、ピアニストとして自ら演奏するためのレパートリーとして作曲した数々の難技巧のピアノ曲が有名なこともあり、ピアニスト・コンポーザーとしてのイメージが強い人ですが、彼は、長命で、欧州のいろいろな国にも居住し、たくさんの弟子を教え、そして、クラシック音楽の一つの大きな流れを作ったことでも「巨匠」と呼ぶべき存在です。その功績の一つが、まさにこの「レ・プレリュード」なのです。
話は変わりますが、交響曲の父とよばれる古典派のハイドンが、「管弦楽によるソナタ形式の、複数楽章を持つ曲」としての交響曲のスタイルを定着させ、その生涯にすっぽり含まれる短い生涯を送ったモーツァルトが41曲の傑作を作り、そのすぐ後に、偉大な改革者であるベートーヴェンが合唱まで取り込んだ9曲の・・ダジャレですが、「究極の」交響曲を書き上げ、時代はロマン派の19世紀に入ります。
18世紀、革命前の宮廷やそこに集う貴族・・・つまり有閑階級が注文主だったころの「交響曲」は、「ある程度の長さを持つこと」が前提だったため、ソナタ形式、という手間のかかる形式を持ち込んでも長さを演出した交響曲でしたが、革命がおこり、市民が音楽を楽しむようになると、当然これらの「ちょい古の音楽」、すなわち「クラシック音楽」は、曲が長いのではないか・・と敬遠気味にとらえる人も多くなります。
実際、現在では、クラシック音楽の定番とされている「交響曲」や「ピアノソナタ」が、19世紀前半の時点で、「古臭くて長い形式」ととらえられていた、という記録があります。