「はかなく、せつなく、あやうい青春だった」
音楽を楽しむ。アメリカのフォークソングから関西フォークのようなメッセージソング、そして自分たちのオリジナル。夏休みの合宿や手作りのコンサート、バザールなどの催し物の企画、関西まで「巡業」もしている。今でいうイベンターのような団体としても機能していた。
被爆20年を超えて復興の足音が高まる中で広島の若者たちが音楽を通して自由を謳歌する場所が広島フォーク村だった。
そんな噂を聞きつけて東京からやってきた上智大学元全共闘の学生たちが作った企画会社、「フューチャーズ・サービス」の提案で作られたアルバムが70年3月に発売された広島フォーク村の自主制作アルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」である。
東京でも大阪でもない音楽の舞台としては顧みられることのなかった街から生まれた学生たちのアルバム。その中で歌われていた「イメージの詩」がきっかけで吉田拓郎がデビューしたことで歴史に残る一枚になった。
ただ、広島フォーク村は、71年春には閉村してしまう。吉田拓郎がプロになり、村長の伊藤明夫が東京のレコード会社に就職して上京、主要メンバーがそれぞれの道を歩むようになって状況が変わった結果だった。
9月30日に広島のホテルで行われたのは「50周年同窓会」。古希に差し掛かった50人ほどの会員たちの演奏。一時期フォーク村とは距離を置いているように見えた吉田拓郎も当時を「はかなく、せつなく、あやうい青春だった」という長文のメッセージを送っていた。
その二日後、10月2日に東京のホテルで開かれたのがニッポン放送の「オールナイトニッポン50周年感謝パーティー」。参加者は500人を超えていただろう。ラジオの一番組の集まりとしては異例とも言える盛り上がりを見せていた。
「オールナイトニッポン」は1967年10月2日に始まり、60年代後半から70年代にかけてのラジオ深夜放送のブームの震源的番組。更に現在でも放送されているニッポン放送の看板番組である。
去年から始まった50周年企画のしめくくりのパーティーには、笑福亭鶴光、亀渕昭信、斎藤アンコー、宇崎竜童、高田文夫、小林克也らのLEGENDと菅田将暉、山下健二郎、AKB48の横山由依、オードリーからユーミンまでの現役パーソナリティー、元放送作家の秋元康までが勢ぞろいした。
様々なゲストが語る番組の思い出やエピソードは、いかに自由な番組だったかということに尽きた。パーソナリティーが放送中に酔っぱらっていた、ディレクターが番組を抜け出して彼女に会いに行っていたなど武勇伝は尽きない。そんな話にはそうやって破天荒な仕事をしていたスタッフが今は偉くなっているというオチがついた。