どうすれば既成勢力と戦えるか
矢沢永吉の功績はいくつもある。
ソロ活動を始めた当時、彼のコンサートが各地で会場拒否にあったことは有名だ。理由は客席で喧嘩が始まるとか興奮した客が椅子を壊すという噂が独り歩きしたからだ。ロックは偏見と色眼鏡の中にあった。会場の周辺を機動隊が警備しているという光景は珍しくなかった。彼が対抗するかのように掲げていたのが「ロックンロール十字軍」というスローガンだった。
ロックンロールを全国に広めるための進軍。ロックのメジャー化である。78年に資生堂のCMソング「時間よ止まれ」とアルバム「ゴールドラッシュ」がシングルとアルバムのチャート一位にランクされるまではそういう状況が続いたと言っていいだろう。「成りあがり」がベストセラーになり、当時の呼称を使えば「芸能人長者番付」の一位になった。78年8月28日の後楽園球場で行ったコンサートは、その頂点のように見えた。
東京ドームと後楽園球場の両方でコンサートを行っているソロアーティストは彼だけだ。
69歳のバースデイライブの本編最後の曲は後楽園球場でのアンコールの最後に歌われた「長い旅」だった。
80年代以降の矢沢永吉は活動の拠点を海外に移している。ロスで生活しレコーディングをロスとロンドンで行う。洋楽と拮抗する日本のロック。音のクオリティやミュージシャンの演奏レベルの向上という一つの指針になったのが彼のアルバムだろう。
81年のツアーにはドゥービー・ブラザーズのメンバーらロスの一流ミュージシャンとともに帰国して全国ツアーを行った。今回のバースデイライブにはその頃からの顔ぶれもいた。
ミュージシャンの選定だけでなく音響や照明、演出などすべてに関わってきたという意味でもロックコンサートのエンタテインメントとしての完成度で彼に先んじる存在はいなかった。
まだある。
キャロルが解散した後にメンバーに無断で発売したベストアルバムをめぐって所属レコード会社との裁判訴訟を起こしている。アメリカでの活動についての現地レコード会社と直接契約する、音楽制作のスタジオの設立、自らのレーベルの運営とマーチャンダイジングなどミュージシャンの権利。音楽ビジネスの新しい形をいち早く提唱してきた。若いミュージシャンにもそんな権利意識の必要性を事あるごとに訴えている。
音楽の質、そして環境。どうすれば既成勢力と戦えるか。それを身をもって示して来たのが矢沢永吉だった。