HY、原点を見失わない
どこかほっとする希望の見えかた

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   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   もう少し夏の話を続けようと思う。

   今年の夏休みに沖縄に行ったという人も多いのではないだろうか。今や東京などの都会の猛烈な暑さに比べると沖縄の方が過ごしやすいかもしれない。

   昭和と平成では日本列島の音楽地図もかなり変わった。以前のようにサクセスストーリーが上京から始まるという時代ではもうない。東京には出てこず、地方在住のまま音楽活動をするという例が珍しくない。

   特に沖縄出身のアーティストにとっては、それが普通になっているようにも見える。

   2018年8月22日、初のセルフカバーベストアルバム「STORY~HY BEST」を発売したHYもまさにそんな代表的なバンドだ。

  • 「STORY~HY BEST」(ユニバーサルミュージック、アマゾンHPより)
    「STORY~HY BEST」(ユニバーサルミュージック、アマゾンHPより)
  • 「STORY~HY BEST」(ユニバーサルミュージック、アマゾンHPより)

ストリートから始まった歴史、その後のSTORY

   HYは、2000年に結成された5人組。新里英之(V・G)、名嘉俊(D)、許田信介(B)、仲宗根泉(Key・V)、宮里悠平(G)は全員、沖縄県うるま市の出身。HYというのは地元東屋慶名の頭文字からとっている。

   那覇から国道58号線を北上すると宜野湾を過ぎる辺りから左手に巨大な観覧車が見えてくる。彼らがホームグラウンドとしていた北谷のアメリカンモールのシンボル。ここに自分たちで機材を運びこみストリートライブを行う高校生バンドとして始まった。

   最初のアルバムは2001年の「Departure」。東京の事務所は決まったがレコード会社はインディーズのまま。2003年に出たアルバム「STREET STORY」がインディーズのアルバムとして史上初めてオリコンアルバムチャートに初登場で一位。そのまま4週連続で一位を続けミリオンセラーになった。

   今回のアルバム「STORY~HY BEST」のタイトルは「STREET STORY」から来ているのだと思う。ストリートから始まった歴史のその後のSTORY。あのアルバムから15年が経った。

   沖縄在住のバンドやアーティストには「沖縄」という背景へのこだわりが共通している。

   ただ、そのこだわり方は一定ではない。例えば、民謡にエレキギターを取り入れた70年代の喜納昌吉や島唄を歌うBEGINのような"民謡寄り"という生き方がある。

   HYは、新里英之、仲宗根泉という二人の詩曲も書く男女ヴォーカリストを持つだけでなくラッパーでソングライターという名嘉俊もいる。宮里悠平と許田信介も詩曲に関わっている。5人全員がクリエーターという稀有なバンドだ。その分、ロックからヒップホップ、ゴスペルまで音楽の幅は広い。

   「STORY~HY BEST」でも三線が登場するのは7曲目の「STREET STORY」が初めてだ。ロックとカチャーシーと呼ばれる沖縄踊りが一体になった曲は今もライブで最も解放的に盛り上がる曲だ。アルバムについている全曲コメントで新里英之は、「初めて三線を取り入れた曲です」と書いていた。

「海に囲まれて育った僕らには欠かせない曲」

   デビュー当時、もっとそういう曲を歌わないのか、と質問したことがある。彼らは「それはやっている方もいらっしゃるし、僕らは自分たちの作りたい音楽の中で表現していきたい」と答えていた。今も、アルバムにはそれぞれの作風を生かしたラブソングが主体となっている。

   自分たちなりの沖縄への想い。「STORY~HY BEST」の一曲目はデビューアルバム「Departure」の一曲目「ホワイトビーチ」だ。今回のアルバムのために行ったファン投票でも一位になったという曲。風に乗って若さが空にはじけてゆくようなラップの入ったロックは東京の若者たちのそうしたロックにはない瑞々しさを備えていた。その歌の舞台となった「ホワイトビーチ」が米軍専用ビーチで日本人は入れない場所だと知ったのはしばらく後のことだった。

   やはりDISC1に「OCEAN」という曲がある。やはりデビューアルバムの中の曲だ。太陽が沈む海辺、月の光と星空に照らし出された二人、砂浜で拾った色とりどりの貝。アスファルトで育った若者には絶対に書けないのびやかなロック。全曲解説に宮里悠平がこう書いている。

「18年前に海を渡り県外に行って改めて地元沖縄の素晴らしさに気づきました。辛いときや何か決断する時、もしかしたらうれしい時も,,,ヒデは海に行きます。その当時、ヒデが海をみて、その海の先まで行きたいと願ったことからできた曲(中略)。海に囲まれて育った僕らには欠かせない一曲です」

   故郷を離れてみて、その良さに気づく。

   それは沖縄の若者だけではなさそうだ。

沖縄発のラブソングを届けるために

   DISC1に「そこにあるべきではないもの」という曲がある。一位になった2004年のアルバム「TRUNK」の中の曲だ。

   歌われているのは「老婆」である。炎天下の砂浜で「そこにあるべきではないもの」を拾い歩く姿を見て思うこと。「捨てる軽さ」と「拾う重さ」と「手を差し伸べられないふがいない僕」。悲しみも憎しみも全て飲み込んで輝くこの島。「この地に似合わないものは思い出とともに持ち帰って」と歌われている。

   歌詞の中に「そこにあるべきではないもの」が何であるのかは歌われていない。

   夏休みに沖縄に行かれた方、「この地に似合わないもの」はきちんと持ち帰ったでしょうか。

   HYを全国区の存在にしたのは、何と言っても2010年の「紅白歌合戦」だろう。その時に歌われたのがDISC2に入っている「時をこえ」だった。

   全曲解説には許田信介がこう書いている。

「実際に泉が戦争を体験したおばあちゃんから話を聞いて、命の尊さを歌いあげた曲。また、沖縄の伝統であるエイサーの太鼓が命の鼓動のように響いてくる一曲です」

   おじい・おばあから聞いた戦争体験と「命どう宝」という言葉。伝えなければいけないかけがえのないもの。曲の中にはアメリカ人のゴスペルコーラスも加わっている。アルバム発売当時、作者の仲宗根泉は、「この曲は彼らと一緒に歌わないといけないと思った」と話していた。

   結成18年。2013年には東京の事務所から独立。自分たちのレーベルも持った。海辺に作ったスタジオがその拠点となっている。

   原点を見失わない。時の流れに惑わされず音楽に向き合っている。家族、友人、そして自然――。

   沖縄の海は青い、そして空は広い。

   彼らの曲を聞きライブを見る。そして話をするたびにどこかほっとするのは、そこにいくつもの希望を見るからなのだと思う。

   HYは、9月から来年にかけて3度目の全都道府県ツアーに出る。

   沖縄発のラブソングを届けるためにだ。

(タケ)

タケ×モリ プロフィール

タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーテイスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。

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