ところてんの謎 壇蜜さんは「甘味処で酢醤油をかけるアウトロー」に惚れる

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   週刊新潮(8月9日号)の「だんだん蜜味」で、タレントの壇蜜さんが「ところてん」について思うところを記している。

   この号で159回を数える食エッセイ。おやぢの関心は彼女の容姿やお色気に寄りがちだが、食でこれだけ書けるのは才能だろう。同誌には珍しく政治的ポジションに関係のないコラムでもあり、毎回、私にすれば心穏やかに読める内容である。

   壇蜜さんは出身校のエピソードから始める。彼女は小中高、大学と東京世田谷の昭和女子大(系)で学んだらしい。いわゆる「ところてん方式」で、実際、非常勤の英会話講師に「あなたたちはところてんよ」と宣告されたそうだ。

「彼女はエスカレーター式のお嬢様っぽい学校でいそいそ勉強する私たちが羨ましいと言い、時にヒヨコちゃんたち、時にところてんとも比喩して笑っていた」

   とはいえ決して嫌な先生ではなく、壇蜜さんたちは「母親よりも年上であろう彼女のカラッとした性分が好きで、よくなついていた」という。

   先生は「お仕事したい人はして、お嫁さんになりたい人はなればいいのよ」との立場で、クラス内でも「素直で自由」と共感されていたと。ところてんのように社会に押し出された後は、皆さんお好きにどうぞというわけか。

   壇蜜さんは「結婚はピンと来ないけど、働いてはいたい」と考えていた。

「そんなことから、私のなかでところてんは、にゅるっと押し出された、原材料もイマイチ不明な、でも比喩には使われるという不思議な食べ物だった」
  • 箸は1本か2本、かけるのは酢醤油か黒蜜か
    箸は1本か2本、かけるのは酢醤油か黒蜜か
  • 箸は1本か2本、かけるのは酢醤油か黒蜜か

一本箸のミステリー

   ここで話は、食べ物としてのところてんに、にゅるっと移る。

   壇蜜さんは数年前の夏に訪れた縁日で、「箸1本で食べるところてん」という「更に謎を呼ぶメニュー」に出会った。その謎が解けずにいたが、「箸1本の方が、繊細なところてんを切らずにすくえる」という有力な説に突き当たる。

   地域によって箸は1本、いや2本と分かれるが、それはところてんの太さや強度が異なるためで、実際、西日本には妙に太い地方があるそうだ。

   「1本か2本か」問題と並ぶ論争に、かける汁は「酢醤油か黒蜜か」問題がある。

「どちらも好きだが、黒蜜はくずきりでいただきたい気持ちもあるので、酢醤油のあとを引く感じがやや優勢かもしれない」

   これはまあ「ど-でもいい」ところなのだが、贅肉がそこかしこに無料でついてくるのも連載エッセイの味である。なお壇蜜さんは、甘味処であえて甘くもないところてんを注文する人を「通であり、アウトローだと思っている」とのことです。

猛暑ゆえの妄想

   このエッセイを読んで、二つのモヤモヤが解けた。まずは子どもの頃、故郷静岡の駄菓子屋にて1本箸で食べた、という淡い記憶である。あれは勘違いや年長者の意地悪ではなく、やはり「正式」なマナーというかローカル・ルールだったらしい。もう一つはその理由だ。蕎麦やうどんのように2本箸で食した場合、柔らかいところてんがブチブチ切れて食感が損なわれるという、なんとも理にかなった話ではないか。

   暑い夏の午後、あの涼感が連続して山手線のごとく喉を通過するところに価値がある。細切れになっては、ただのダイエット食である。

   上記エッセイには毎回、筆者による一句が添えられる。

   今回は〈すくわれたい羨(うらや)む箸先ところてん〉。ひょっとして37歳の壇蜜さん、ところてんのように、誰かに大切にすくわれたいと思っているのかな。

   今年の猛暑はまさに、ところてんの出番だろう。幻視や幻聴を招来するほどだ。水中でゆらゆらと誘うあの黒髪をだね、指一本ですくってみたいものであるなあ...そんな妄想を振り払い、とりあえずところてんを買いに出るおやぢであった。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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