猛暑ゆえの妄想
このエッセイを読んで、二つのモヤモヤが解けた。まずは子どもの頃、故郷静岡の駄菓子屋にて1本箸で食べた、という淡い記憶である。あれは勘違いや年長者の意地悪ではなく、やはり「正式」なマナーというかローカル・ルールだったらしい。もう一つはその理由だ。蕎麦やうどんのように2本箸で食した場合、柔らかいところてんがブチブチ切れて食感が損なわれるという、なんとも理にかなった話ではないか。
暑い夏の午後、あの涼感が連続して山手線のごとく喉を通過するところに価値がある。細切れになっては、ただのダイエット食である。
上記エッセイには毎回、筆者による一句が添えられる。
今回は〈すくわれたい羨(うらや)む箸先ところてん〉。ひょっとして37歳の壇蜜さん、ところてんのように、誰かに大切にすくわれたいと思っているのかな。
今年の猛暑はまさに、ところてんの出番だろう。幻視や幻聴を招来するほどだ。水中でゆらゆらと誘うあの黒髪をだね、指一本ですくってみたいものであるなあ...そんな妄想を振り払い、とりあえずところてんを買いに出るおやぢであった。
冨永 格