クラシック音楽の長い歴史において、忘れられた作曲家はたくさんいます。いやむしろ、「歴史に名を遺した」人たちのほうが稀なわけで、一人の天才が活躍した周囲には、たくさんの名を残さなかった音楽家たちも活動していたのです。
また、死後になって作品が評価されることもある作曲家は、生前はあまり有名でない場合も多く、逆に、存命当時の名声が、その後急速に潰えた・・という人の例もあります。
今日取り上げる作曲家は、ヨハン・ネポムク・フンメル、曲は、彼の「ヴィオラとオーケストラのための『幻想曲』」を舞台に上げましょう。
超有名だったのに、後世ではほとんど演奏されず
フンメルは、同時代の人にとっては超有名演奏家にして、作曲家でした。幼いころから天才と言われ、モーツァルトに認められて内弟子となり、その後は、ハイドンに師事してその宮廷楽長ポストを引き継ぎ、そのほかの街でも宮廷楽長を歴任し、同時に、音楽の都ウィーンで活躍するピアニストでもありました。生前は「最も活躍し、輝いている音楽家」だったことは間違いありません。作曲においても、オペラにオーケストラ用作品、協奏曲、室内楽曲、ピアノ独奏曲、と多岐にわたり、かなりな作品数を残しました。
活躍したのが「古典派の最後期」で、その後に、テイストの違うロマン派の時代がやってきたという時代のめぐりあわせもあり、フンメルは、ヨーロッパを股にかけて活躍したのに、死後は急速に忘れ去られました。現在古典派の研究が進むにつれ、作曲家としてもたくさんの作品を残したフンメルも注目されるようになってきましたが、それでも、彼の師たちの作品に比べれば、「ほとんど演奏されない作曲家」といっても過言ではありません。
今日の一曲は、そんな彼の1曲、「幻想曲 ト短調 Op.94」です。ソロ・ヴィオラと管弦楽のための作品で、フンメル作品の中でも、比較的演奏機会がある曲です。その理由は、独奏楽器として認知されていなかった弦楽器・・すなわちヴィオラがソロとして活躍する、珍しい曲だからなのです。
20分弱の大作で、タイトルも「ポプリ」だった
現在演奏される「幻想曲」はテンポの違う3つの部分を持った、7分程度の曲ですが、実はこの曲のオリジナルは、演奏に20分弱もかかる長大な作品で、名前も「ポプリ」でした。作曲者フンメルの名が急速に忘れ去られたのと同じく、「ポプリ」の大きな部分が忘れ去られ、「幻想曲」として流通していた・・という夏のミステリーのようなお話なのですが、しかし、これは事実なのです。
「ポプリ」とは、フランス語で「匂い花籠」のことなのですが、音楽用語としては、「その当時流行していたり、人々によく知られたメロディーを織り込んで展開していく『お楽しみダイジェスト』のような曲の形式」を指します。
フンメルは、ヴィオラとオーケストラのために、師モーツァルトや同時代の大ヒット作曲家ロッシーニのオペラの旋律などを練りこみ、多少即興的にも聞こえる、長大なヴィオラのための、いわば「メドレー」曲を作曲したのです。
しかし、冒頭に戻りますが、歴史の淘汰に耐えて後世までのこる楽曲・作曲家はごくわずか・・・の通り、フンメルが花籠に詰め込んだ、オペラアリアの旋律などは、時代が下るにしたがって、聞いている人には意味不明のものになってしまったのでしょう。
誰が「大幅カット」を行ったかというのは、今や「歴史の闇」の中ですが、半分以上に刈り込まれてしまったヴィオラのための「ポプリ」は、伴奏の変奏も縮小して、「幻想曲」という名前で流通することになったのです。現在では、「ポプリ」も「幻想曲」も両方の楽譜が出版され、どちらも演奏されますが、長いほうの「ポプリ」を「幻想曲つき」と表記することも多くなっています。
たくさんの旋律を詰め込んだ「花籠=ポプリ」ではなくなりましたが、ヴィオラのための数少ない協奏的作品として、「ファンタジー」こと「幻想曲」は、かろうじて、フンメルの作品として生き延びたのです。歴史は時として残酷です。作曲者のオリジナルをいつも忠実に演奏しているように見えるクラシック音楽ですが、中には、こうやって「饅頭の皮だけ」のような編曲をされて、後世に伝えられる曲もあるのです。
本田聖嗣