太平洋戦争開戦の「通説」に真っ向から挑む

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■経済学者たちの日米開戦(牧野邦昭著、新潮選書)

   うだるような暑さの中、今年も8月を迎えた。敗戦から73年目の夏だ。日本国の存亡の危機を招いた、先の大戦について考える重要さを再認識する大切な時期である。

   話題の1冊『経済学者たちの日米開戦~秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(新潮選書 2018年5月)は、その冒頭で、「昭和一六(一九四一)年、日本はなぜ勝ち目のないアメリカとの戦争を始めたのだろうか」という、戦後の視点からすれば当然の疑問から始まる。

学問的にも高い信頼のおける成果を上げた

   「『非合理的』『情報軽視』といったイメージのある日本陸軍であるが、実際には開戦前に多くの一流の経済学者を『秋丸機関』に動員して、日本のほかアメリカ、イギリス、ドイツなどの主要国の経済戦力の調査を行なっていた」という。調査報告はすべて破棄されたと伝えられてきたが、その報告書のうち1冊が1991(平成3)年に発見された。その後、インターネットの発達や、ここ10年ほどの公的な歴史資料データベースが飛躍的に充実したという環境変化を受けて、本書の著者である牧野邦昭氏(摂南大准教授)は、数多くの未発見の秋丸機関関係資料を発掘することができ、それを基に、秋丸機関について、「経済学者が対米戦の無謀さを指摘したにもかかわらず、陸軍はそれを無視して開戦に踏み切ってしまった」という現在の通説に真っ向から挑んだ。

   本書の帯には、推薦者として、猪木武徳氏、筒井清忠氏、細谷雄一氏の名が記載されている。いずれも信頼できる方々であるが、このうち、筒井清忠氏は、日本近現代史の碩学として知られる。最近では、ちくま新書で、「昭和史講義」の3部作などの一般向けの編著にも取り組んでいる。最新刊の編著「昭和史講義(軍人篇)」では、間違いの多い昭和史本が生み出される背景として、需要が多いのに供給が少ないことを挙げ、本来不正確なものを整序すべきマスメディアの編集者が機能していないことを嘆いている。牧野氏は、そのような状況の中、学問的にも高い信頼のおける成果を上げたということだ。

経済学者が「戦争論を抑える」ために何かできたとすれば

   牧野氏は、秋丸機関の研究成果は秘匿されるような中身ではなく、その内容は当時かなり広く一般にも知られていたものであることを明らかにした。そして、最新の経済行動学や社会心理学の理論をもとに、天皇に主権があるという明治憲法体制下で、政策決定の実際の意思決定が、陸軍・海軍・政府という天皇を補佐する機関の間で分立してきちんと統合されないままに、現状維持でのジリ貧よりも、非常に低い確率ではあるが有利に講和しうるという見方が有力になり、リスクの高い対米開戦を選択したと分析している。当時、経済学者が「戦争論を抑える」ために何かできたとすれば、現状維持を続けてもジリ貧にならず将来でもアメリカと勝負できるという「ポジティブなプラン」を経済学に基づき効果的に説明することだったという。

   なお、本文中、「昭和一六年夏の敗戦」(猪瀬直樹著 中公文庫)で「太平洋戦争開戦前に日本必敗を予測していた機関」として、今の世に知られるようになった「総力戦研究所」について、この研究所で昭和16年8月末に政府要人の前で行なわれた机上演習は、アクティブラーニングの一環であること、研究所の実態は研究機関というより高度な教育機関であり、演習成果を政策に生かすとことは全く考えられていなかったことなどを解説する。また、研究所の作成した他の資料では、長期戦にならない限りは対米戦に勝利の見込みがあるとしたものもあるとする。これらの総力戦研究所に関する記述には正直びっくりした。資料の充実などによる学問的な研究の深まりで、一般に言われてきた先の大戦にかかる歴史が書き換えられていることを実感する上でも出色の1冊だ。

経済官庁 AK

   【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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