日本に広がる「外国籍」の問題
清水俊平がめざすリアルな映画

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   利(き)き腕の力を失くしてジムを去った金(キム)は在日韓国人3世の元ボクサー。怠惰な日々を送り、生活保護費で女を買っては逢瀬を重ねている。その女、櫻(さくら)は夫の暴力から逃れられず、隠れて主婦売春を繰り返していた。

   「在日は嫌い」と言いながらも、祖国と日本の狭間で葛藤する金と、そんな男を母性のような優しさで包む日本人女性の櫻。互いに心の隙間を埋めるかのように惹(ひ)かれ合う男女の姿が哀しくも鮮烈に描かれていく......。

   「在日には独自のコミュニティがあり、ひとつの社会を形成してきたけれど、3世、4世の世代になると、もはや在日であることを何とも思っていない人たちが増えています。在日同士の横のつながりを持つのも好きじゃない人もいれば、コミュニティから飛び出したいと考える人もいる。これまでの在日映画はどうしても遠い過去の歴史を振り返るものが多かったけれど、僕は現代の在日韓国人像を浮き彫りにしたいと思ったのです」

  • 1984年、神奈川県鎌倉市生まれ。パリ育ち。「フランス帰り」というだけで、クスクス笑われることがあって、帰国子女であることを隠し続けた時期があった(フォトグラファー・渡辺誠、以下同)
    1984年、神奈川県鎌倉市生まれ。パリ育ち。「フランス帰り」というだけで、クスクス笑われることがあって、帰国子女であることを隠し続けた時期があった(フォトグラファー・渡辺誠、以下同)
  • 現在、映画の題材になる資料、ネタを収集中だ。若い世代の在日コリアンをインタビューして実話を採集しながら、「在日嫌いの在日」の全体構成を考える。物語の季節は冬だ
    現在、映画の題材になる資料、ネタを収集中だ。若い世代の在日コリアンをインタビューして実話を採集しながら、「在日嫌いの在日」の全体構成を考える。物語の季節は冬だ
  • 単なるお飾りの帰国子女でなく、清水の強味はフランス語の読み書きができるところ。明治学院大学在学中に、フランス西部にあるリモージュ大学大学院に留学した
    単なるお飾りの帰国子女でなく、清水の強味はフランス語の読み書きができるところ。明治学院大学在学中に、フランス西部にあるリモージュ大学大学院に留学した
  • 第26回東京学生映画祭実写部門グランプリに輝いた映画『ふざけるんじゃねえよ』は40分の作品。(公財)韓昌祐・哲文化財団の助成を受け、一般の映画館で上映できる尺(しゃく)の、初の長編作品に挑戦する
    第26回東京学生映画祭実写部門グランプリに輝いた映画『ふざけるんじゃねえよ』は40分の作品。(公財)韓昌祐・哲文化財団の助成を受け、一般の映画館で上映できる尺(しゃく)の、初の長編作品に挑戦する
  • 日本人と在日にあったわかりやすい差別は薄れている。今は、その下にもう一つ『外国籍』で生きる人たちがいることを考えなければならない時代。新たに日本に広がりゆく『外国籍』の問題も踏まえ、リアルに描き出したい、と清水は考える
    日本人と在日にあったわかりやすい差別は薄れている。今は、その下にもう一つ『外国籍』で生きる人たちがいることを考えなければならない時代。新たに日本に広がりゆく『外国籍』の問題も踏まえ、リアルに描き出したい、と清水は考える
  • 1984年、神奈川県鎌倉市生まれ。パリ育ち。「フランス帰り」というだけで、クスクス笑われることがあって、帰国子女であることを隠し続けた時期があった(フォトグラファー・渡辺誠、以下同)
  • 現在、映画の題材になる資料、ネタを収集中だ。若い世代の在日コリアンをインタビューして実話を採集しながら、「在日嫌いの在日」の全体構成を考える。物語の季節は冬だ
  • 単なるお飾りの帰国子女でなく、清水の強味はフランス語の読み書きができるところ。明治学院大学在学中に、フランス西部にあるリモージュ大学大学院に留学した
  • 第26回東京学生映画祭実写部門グランプリに輝いた映画『ふざけるんじゃねえよ』は40分の作品。(公財)韓昌祐・哲文化財団の助成を受け、一般の映画館で上映できる尺(しゃく)の、初の長編作品に挑戦する
  • 日本人と在日にあったわかりやすい差別は薄れている。今は、その下にもう一つ『外国籍』で生きる人たちがいることを考えなければならない時代。新たに日本に広がりゆく『外国籍』の問題も踏まえ、リアルに描き出したい、と清水は考える

「在日嫌いの在日」描く

   2014年のデビュー作、映画『ふざけるんじゃねえよ』で初監督を務めた清水俊平(33)が描いたのは、「在日嫌いの在日」。

   脱サラして入学した多摩美術大学映像演劇学科の授業中に制作した作品が、東京学生映画祭実写部門グランプリを受賞。東京国際映画祭やアジア新人監督の登竜門として名高いバンクーバー国際映画祭など、国内外20以上の映画祭に招待され、世界各国3000人以上の観客を動員した。

   今、清水は初の長編映画に挑もうとしている。公益財団法人韓昌祐・哲文化財団の助成を受け、現代の「在日」の在り方を新たな視点から問う作品に取り組む。在日や日本の若者たちがいかに国籍の壁と向き合っていくのか――。そこには清水自身が日本社会の中で抱いてきた"違和感"が秘められていた。

   商社マンである父の赴任で渡仏し、母と姉の4人家族で2歳から8歳までパリで暮らした。清水が通った公立小学校は16区にあり、周辺は治安が良く裕福な人々が多く住む地区だが、クラスは民族、宗教、文化の坩堝(るつぼ)だった。

「学校で皆の国籍を調べる授業があって、級友の半数ほどがフランス人。あとはポルトガルなど他の欧州国や北アフリカ諸国。アジア圏は日本人と中国人が多かった。国が違えば名前や肌の色も違い、宗教上の理由でベジタリアンの子もいる。でも、そういう多様性を生徒は自然に受け入れます。その一方で東洋人として差別の目も感じました。当時は東洋人といえば中国人に見られ、侮蔑の言葉をかけられる。それでも仲良くなるきっかけはサッカーでした。『おまえは日本人なのに何でそんなにサッカーうまいの?』と(笑)。陰湿ないじめはなかったです」

   休み時間には校庭で友だちとボールを追い、フランス代表を輩出するレベルのクラブチームに入って練習に励んだ。フランスサッカー界の英雄ミッシェル・プラティニが訪れることもあり、「サッカー選手になるのが夢だった」という清水。ところが小3の時に、日本に帰国。生活が一変した。

公益財団法人韓昌祐・哲文化財団のプロフィール

1990年、日本と韓国の将来を見据え、日韓の友好関係を促進する目的で(株)マルハン代表取締役会長の韓昌祐(ハンチャンウ)氏が前身の(財)韓国文化研究振興財団を設立、理事長に就任した。その後、助成対象分野を広げるために2005年に(財)韓哲(ハンテツ)文化財団に名称を変更。2012年、内閣府から公益財団法人の認定をうけ、公益財団法人韓昌祐・哲(ハンチャンウ・テツ)文化財団に移行した。

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