夏休みシーズンに入りました。学校が休みになる学生さんはもちろんのことですが、なかなか休みを取ることのできない社会人でも、「夏休み」は、旅に出たり、なにか新しいことに挑戦したり、または自分の好きなことに時間を使えたりする、わくわくがあります。
今日の1曲は、天才作曲家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、遊びをしながら、作曲してしまった・・・という伝説から愛称がつけられた、「ケーゲルシュタット・トリオ」を取り上げます。
愛称の背景に後世の人の想像と称賛
この曲の正式名称は、「ピアノ、クラリネットとヴィオラのための三重奏曲 変ホ長調 K.498 」と言いますが、愛称の「ケーゲルシュタット・トリオ」で広く知られています。
ドイツ語の「ケーゲルン」とは、ボウリングの原型のような遊びで、現代のドイツでも、カフェの裏庭にあったりするそうですが、10本ではなく9本のピンを倒すので「九柱戯」と翻訳されることもあります。
モーツァルトはなんと、このゲームをプレイしながら、三重奏曲を書き上げた・・というエピソードから、「ケーゲルシュタット・トリオ」の愛称がつけられたのですが、もちろん本人は、そんなことは書き残しておりません。律儀に自作目録をつけていたモーツアルトは、「ピアノとクラリネットとヴィオラのための三重奏曲」としているだけです。ただ、ほぼ同じ時期に作曲されたホルン二重奏が「ケーゲルン場で作曲」と、日付とともに自筆譜に記されているので、そのエピソードと混同されたものと思われます。
実際に、ケーゲルンをプレイしながら書いたかどうかの真偽はともかく、ウィーンでの円熟期のモーツァルトにとって、頭の中に出来上がった曲を、楽譜に書きつける「だけ」の作業は、遊びながらでも可能だったかもしれない・・・そんな後世の人間の、想像と称賛が、この名前をこの曲につけたのです。
「友人と優秀な生徒」を取り持ってヴィオラを演奏
ともあれ、この曲は、この時期まだまだ新発明の楽器だったクラリネットを使い、ヴァイオリンより低い音域のヴィオラを交え、ピアノとの三重奏曲として書かれた世界最初の曲です。この後は、シューマンなど、同じ編成を用いるフォロワーが現れています。
モーツァルトは、新発明で、まだまだ音程などが安定しなかったクラリネットという楽器を、後期の作品に取り入れています。アントン・シュタッドラーというクラリネットの名手が友人にいたためで、クラリネットのB♭管(♭1つの変ロ長調が固有の調)で吹きやすいように、お隣の調である、変ホ長調(♭2つ)で書かれています。
モーツァルトが30歳であった1786年、彼はウィーンで、ジャカン・ファミリーと親しくしていました。その家には、当時新しかったピアノフォルテ(ピアノの原型)があり、当主ゴットフリートの妹、17歳のフランチェスカは、モーツァルトのピアノの弟子であったからです。
週末にジャカン家に集まって音楽会を催したり、ケーゲルンをはじめとした遊びにも興じたようです。そこに友人シュタッドラーも招いて、この珍しい編成の三重奏曲を演奏したのです。フランチェスカは、若いのに猛烈に練習してくることで、先生モーツァルトもピアノの腕前を認めており、初演時は、シュタッドラーのクラリネットにフランチェスカのピアノ、そしてモーツァルト自身がヴィオラを担当したと記録されています。
ヴァイオリンに対して、アンサンブルの楽器的性格がより強く、少し地味な存在のヴィオラですが、モーツァルトは、交響曲においても、室内楽においても、ヴィオラの扱いに熟練しており、「友人と優秀な生徒」の間を取り持つために、自らヴィオラの演奏を買って出たと思われますし、2楽章など、ヴィオラが活躍する部分もかなり多く作っています。
その愛称から、「モーツァルトが遊びながら、片手間で作った」と誤解されそうな三重奏曲ですが、実際には、円熟期のモーツァルトが、新しい楽器クラリネットと、同じくこの時期発達が急だったピアノとを、ヴィオラを入れることによって結び付けた、斬新な、かつ、とてもまろやかな、三重奏曲なのです。天才は、たとえ遊びながらでも、天才にしかできない素敵な作品を生み出す・・・といったところでしょうか?
本田聖嗣