「友人と優秀な生徒」を取り持ってヴィオラを演奏
ともあれ、この曲は、この時期まだまだ新発明の楽器だったクラリネットを使い、ヴァイオリンより低い音域のヴィオラを交え、ピアノとの三重奏曲として書かれた世界最初の曲です。この後は、シューマンなど、同じ編成を用いるフォロワーが現れています。
モーツァルトは、新発明で、まだまだ音程などが安定しなかったクラリネットという楽器を、後期の作品に取り入れています。アントン・シュタッドラーというクラリネットの名手が友人にいたためで、クラリネットのB♭管(♭1つの変ロ長調が固有の調)で吹きやすいように、お隣の調である、変ホ長調(♭2つ)で書かれています。
モーツァルトが30歳であった1786年、彼はウィーンで、ジャカン・ファミリーと親しくしていました。その家には、当時新しかったピアノフォルテ(ピアノの原型)があり、当主ゴットフリートの妹、17歳のフランチェスカは、モーツァルトのピアノの弟子であったからです。
週末にジャカン家に集まって音楽会を催したり、ケーゲルンをはじめとした遊びにも興じたようです。そこに友人シュタッドラーも招いて、この珍しい編成の三重奏曲を演奏したのです。フランチェスカは、若いのに猛烈に練習してくることで、先生モーツァルトもピアノの腕前を認めており、初演時は、シュタッドラーのクラリネットにフランチェスカのピアノ、そしてモーツァルト自身がヴィオラを担当したと記録されています。
ヴァイオリンに対して、アンサンブルの楽器的性格がより強く、少し地味な存在のヴィオラですが、モーツァルトは、交響曲においても、室内楽においても、ヴィオラの扱いに熟練しており、「友人と優秀な生徒」の間を取り持つために、自らヴィオラの演奏を買って出たと思われますし、2楽章など、ヴィオラが活躍する部分もかなり多く作っています。
その愛称から、「モーツァルトが遊びながら、片手間で作った」と誤解されそうな三重奏曲ですが、実際には、円熟期のモーツァルトが、新しい楽器クラリネットと、同じくこの時期発達が急だったピアノとを、ヴィオラを入れることによって結び付けた、斬新な、かつ、とてもまろやかな、三重奏曲なのです。天才は、たとえ遊びながらでも、天才にしかできない素敵な作品を生み出す・・・といったところでしょうか?
本田聖嗣