2001の再会と21枚組のBOX
ただ、どんなに手弁当であっても2万人以上が集まる長期の野外コンサートは誰もが未経験。途中、豪雨で中止になり、出演者が他の日に急遽振り替えられるというトラブルもあった。主演者やスタッフの宿泊代もかかる。収支は大赤字。5千万円以上を主催者の佐藤三郎が負担せざるをえなかった。
彼にその後の話を聞いたのは25年後。雑誌「AERA」の中の人物インタビュー記事「現代の肖像」を書いた時だ。彼は、会場に残されたゴミの処理に一週間かかったと語ってくれた。最終的に所有していた土地や家を売り払い街を離れて暮らしていた中で「あのイベントをやらなければ良かった」とは口にしなかった。そして2001年、須賀川市で行われた福島の未来をテーマにした「うつくしま未来博」で「ワンステップフェスティバル2001」を開催、当時のスタッフや出演者の再会の場を提供していた。
郡山ワンステップフェスティバルは、その後、何度となく再評価の光が当てられている。2004年には当時は行方不明になっていた録音テープを使った4枚組ライブ盤、2013年には映像も含めた5枚組BOXが発売、去年の年末には出場者全41組のうち37組の演奏曲全曲を収めた膨大なライブアルバム21枚組BOXも出た。
協賛する大手スポンサーもなければ後援するメディアもない。業界とは何の接点もない地方都市の青年が全財産を投げうって行った空前のロック・フェス。それは行う側、出る側、そして見る側のそれぞれにとってウッドストックがピークとなった60年代後半のフラワームーブメントやロック幻想による日本で最も象徴的な出来事でもあったのだと思う。
佐藤三郎も石坂敬一もすでにこの世にいない。会場にいた延べ数万人の観客の記憶と残された音源が、「夢の証し」としていくつもの教訓とともに語り継がれてゆく。
(タケ)