ウッドストックとオノ・ヨーコ
それだけのメンバーが集まったのは、出演者の中にウッドストックがイメージされていたからであることは間違いない。まだ東京にライブハウスが数店、ロックバンドには演奏する場所すら満足に見つけられない時代に野外で歌えることがどれだけ刺激的なことか。出演者は交通費などは別にしてノーギャラ。スタッフも同様だった。
もう一つの要因にオノ・ヨーコがあった。ビートルズが解散してまだ日も浅い。ジョン・レノンも活動中だ。イベントのスローガンは彼女がインタビューなどで発言している「日本は緑が少なくなった」から生まれた。
彼女との窓口になったのがプロデューサーも兼ねていた内田裕也と東芝EMIの石坂敬一でポスターを書いたのはロックのアルバムのジャケットなどで力作を発表していたイラストレーターの横尾忠則だった。
70年代の前半である。まだロックは市民権を得ていないに等しい。出演者の中で誰もが知っているというのは沢田研二くらい。お茶の間の人たちにとってはオノ・ヨーコですらそうだろう。当初は「郡山市市政50周年」という時期に合わせたイベントとして好意的だった行政や教育委員会が途中から18歳未満の参加禁止を打ち出し、非協力側に回るようになる。
理由は簡単。「長髪のヒッピーが街を汚しに来る」というネガティブ・キャンペーンにさらされることになった。
筆者が参加したのは8月9,10日の二日間。話題のキャロルやサディスィック・ミカ・バンド、大トリのオノ・ヨーコがお目当てだったことは言うまでもない。
まだ東北新幹線も開通していない。構成を担当していた文化放送の「セイ!ヤング」の生放送を終えてそのまま上野駅にかけつけ、朝一番の各駅停車で郡山に向かった。5時間以上かかって着いた駅前に長髪の若者たちの姿を見た時に「仲間がいる」と浮き立つような気分だったことを覚えている。でも、今思えば、のどかな地方都市でのそうした光景は確かに異様だったかもしれない。そうやって集まってきた若者たちの中に15歳の京都の中学生だった白井貴子がいたことを知ったのは最近のことだ。