「朝鮮通信使」の影響を映す
建仁寺両足院の貴重な文物を調査

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   長崎県対馬市。北部の突端に立てば、すっきりと晴れた日には韓国・釜山が見える。日本と韓国を隔てる対馬海峡の距離は約50km。古代は防人が常駐した、日本列島の守備の要衝地である。

   また対馬は半島との距離の近さから、古来、朝鮮半島と日本列島との中継基地の役割も果たしてきた。室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮が日本に派遣した外交使節団「朝鮮通信使」も、対馬を通って京や江戸に上った。

  • 「両足院」と彫られた堂々たる扁額(へんがく)を見上げる片山真理子。文字は朝鮮通信使が筆をとったものである。彼らは教養が高く、書をよくした。他の禅宗寺院にも朝鮮通信使が書いた扁額を掲げているところがある(写真・渡辺誠、以下同)
    「両足院」と彫られた堂々たる扁額(へんがく)を見上げる片山真理子。文字は朝鮮通信使が筆をとったものである。彼らは教養が高く、書をよくした。他の禅宗寺院にも朝鮮通信使が書いた扁額を掲げているところがある(写真・渡辺誠、以下同)
  • 両足院には4つの蔵がある。ここは本蔵で、片山が助成事業の調査対象にした蔵。朝鮮美術関連の書画、巻物などを整理、調査して、花園大学禅文化研究所にいったん移設した
    両足院には4つの蔵がある。ここは本蔵で、片山が助成事業の調査対象にした蔵。朝鮮美術関連の書画、巻物などを整理、調査して、花園大学禅文化研究所にいったん移設した
  • 長年、未整理だった本蔵の収蔵品。片山の整理と調査で光が当てられた。膨大な資料を細部まで検討、分類して整理台帳を作る。その後、200年、300年という長い目で何を残していくかを両足院に提案する
    長年、未整理だった本蔵の収蔵品。片山の整理と調査で光が当てられた。膨大な資料を細部まで検討、分類して整理台帳を作る。その後、200年、300年という長い目で何を残していくかを両足院に提案する
  • ハングルで「朝鮮国」と書かれた甕器(オンギ)。おおらかな作りはいかにも朝鮮の焼き物らしい。「今の私たちがイタリアでオリーブオイルを買って、気に入った瓶を残しておくようなものだったかも」と片山
    ハングルで「朝鮮国」と書かれた甕器(オンギ)。おおらかな作りはいかにも朝鮮の焼き物らしい。「今の私たちがイタリアでオリーブオイルを買って、気に入った瓶を残しておくようなものだったかも」と片山
  • 両足院の副住職・伊藤東凌師と語り合う。副住職は座禅会などを開き、禅に馴染みのない人たちも気軽に足を運んでもらいたいと考えている
    両足院の副住職・伊藤東凌師と語り合う。副住職は座禅会などを開き、禅に馴染みのない人たちも気軽に足を運んでもらいたいと考えている
  • 「両足院」と彫られた堂々たる扁額(へんがく)を見上げる片山真理子。文字は朝鮮通信使が筆をとったものである。彼らは教養が高く、書をよくした。他の禅宗寺院にも朝鮮通信使が書いた扁額を掲げているところがある(写真・渡辺誠、以下同)
  • 両足院には4つの蔵がある。ここは本蔵で、片山が助成事業の調査対象にした蔵。朝鮮美術関連の書画、巻物などを整理、調査して、花園大学禅文化研究所にいったん移設した
  • 長年、未整理だった本蔵の収蔵品。片山の整理と調査で光が当てられた。膨大な資料を細部まで検討、分類して整理台帳を作る。その後、200年、300年という長い目で何を残していくかを両足院に提案する
  • ハングルで「朝鮮国」と書かれた甕器(オンギ)。おおらかな作りはいかにも朝鮮の焼き物らしい。「今の私たちがイタリアでオリーブオイルを買って、気に入った瓶を残しておくようなものだったかも」と片山
  • 両足院の副住職・伊藤東凌師と語り合う。副住職は座禅会などを開き、禅に馴染みのない人たちも気軽に足を運んでもらいたいと考えている

京都の高名寺院が僧を派遣

   朝鮮半島と日本との歴史をひもとけば、鎖国の時代にも人や文物の交流が行われてきた。その交流には京都五山と呼ばれる禅宗寺院も関係している。

   京都五山のうち、南禅寺を除いた天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺は、対馬の厳原(いずはら)にあった幕府の外交実務を担当する『以酊庵』(いていあん)(現・西山寺)に、輪番で僧を派遣してきた。漢学に秀でた学僧たちは、李氏朝鮮や対馬藩との折衝や応接、外交文書の作成などを担当し、来日した朝鮮の人々と幅広い交流を持った。寺院側としては、幕府が莫大な資金をかける「プロジェクト」の一員となれば多額の収入にもなるため、喜んで僧を派遣していたという。

「最初のうちは対馬藩が密貿易を手がけ、日本の国書を改竄(かいざん)するなどの問題があったため、幕府は見張り役として五山の僧侶を派遣して、自分たちでコントロールをしようとしたのです。同じお坊さんが何度か行くこともあったようですね」

   と話すのは、朝鮮絵画の研究者・片山真理子だ。片山は今、韓昌祐・哲文化財団の助成金を得て、建仁寺の塔頭(たっちゅう)・両足院に残された朝鮮の文物を調査中である。

   東京藝術大学美術学部付属古美術研究施設の非常勤講師を勤める片山だが、以前は15年にわたって「高麗美術館」(京都市北区)の学芸員として働いていた。高麗美術館が2007年に、朝鮮通信使来日400年記念の展覧会「誠信の交わり--通信使の息吹」、そして2013年に「朝鮮通信使と京都」を開催した際には、中心となって図録を作成している。通信使をテーマにした特別展を契機に五山の一つ、建仁寺両足院との縁が深まった。美術館が収蔵している資料だけでは足りず、外部から関係資料を借りなくてはならなかったからだ。両足院には寺宝となる美術工芸品が受け継がれているが、朝鮮関係の資料があることを知る人はあまりいないだろう。

公益財団法人韓昌祐・哲文化財団のプロフィール

1990年、日本と韓国の将来を見据え、日韓の友好関係を促進する目的で(株)マルハン代表取締役会長の韓昌祐(ハンチャンウ)氏が前身の(財)韓国文化研究振興財団を設立、理事長に就任した。その後、助成対象分野を広げるために2005年に(財)韓哲(ハンテツ)文化財団に名称を変更。2012年、内閣府から公益財団法人の認定をうけ、公益財団法人韓昌祐・哲(ハンチャンウ・テツ)文化財団に移行した。

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