週刊SPA!(7月3日号)の「オトコ観察絵日記 痛男(イタメン)」で、エッセイストの犬山紙子さんが「世代ごとの悪しき習慣を断ち切ろう」と訴えている。
「そうできない人が迷惑をかけると『あー、あの人バブルだから』と世代で揶揄されてしまうようになる。逆に、同世代の負の連鎖を断ち切れる人はずっと好かれる...」
36歳の犬山さん自身は「根性論がきついわけでもないし、比較的実力主義。一方で、多様性を理解しているようでしていない世代だな」と自覚する。
多様性を理解しない? それは己の属性をひとくくりに自虐しがちで、かつ「気軽に差別用語を発する最後の世代」だから、なのだという。
「属性自虐の何が悪いかって、同じ属性の人も一緒に貶めることになってしまうこと、そして後輩たちが思いっきり気を使わなきゃいけないところです」
例えば非モテや独身への自虐。「彼女いない歴35年」などという年長者に、周囲は黙り込むか「やばくないですって」「独身でも楽しいからいいじゃないですか」とフォローせざるを得ない空気が漂う。要するに、しちめんどくさい先輩ということになる。
「笑いをとっていると思っている人もいるかもしれませんが、『あ、この人は、独身を悪いものという意識の人なのだな』と、愛想笑いをしつつレッテルを貼られることも」
自虐ネタは古い
犬山さんによれば、こうした自虐ネタは種々のハラスメントからわが身を守るために生み出されたものだ。自分のウィークポイントや劣等感を先回りして公言することで、他人から言われた時のダメージを軽くしたい、そんな心理だろう。
「ハラスメントがここまで糾弾されるようになった今、自虐も考え直さなければいけない段階に入ったと思うのですね。自分がどんな属性であれ、堂々としていればいいのです」
自分を下にして笑わせるなら、エピソードトークのほうが断然おもしろいという。具体的な失敗談やら、恥ずかしい体験などのことらしい。
自虐が時代遅れなら、それとセットの「キラキラバッシング」もダメだそうだ。カフェでの自撮り女子を揶揄するような行為である。
犬山さんが同世代に感じる差別意識とは、男性がゲイの前で「襲わないで~」とおどけたり、レズビアンに「本当にいい男に出会ってないからだよ」と言ったりするケースを指すのだという。男尊女卑的な物言いもしかりである。
「このあたりも反省&更新をしていかないと、われわれ世代が劣化するでしょう。てなわけで、誰しも上の世代から続く悪い流れを見直すタイミングなんじゃないか、と思ったのでした」
世代共通の「体臭」
世代(generation)の語源は「生み出されしもの」。時代が世代を生み育て、時代はまた世代に創られるという、ニワトリとタマゴの関係である。それぞれの世代は特有のニオイをまとい、周囲に漂わせる。日本では長らく社会との関りが深かった男性のほうが「世代の体臭」は強いかもしれない。
犬山さんが「若者にすり寄るべきだとは思わない」と書くように、より上の世代にもいいところはある。他方、悪弊のほうは意識して自分たち限りで終わらせよう、次世代に押しつけるなかれ、というのが上記エッセイの趣旨である。
私は1950年代半ばに生まれた「ポスト団塊」のアラ還で、物心ついた頃からテレビと二人三脚で、高度成長の中で育ったグループに属している。30歳前後でバブルを経験、パソコンとインターネットの情報革命は、すでに職場で中堅と呼ばれる頃にやってきた。
団塊ほどのエネルギーや自意識はない代わりに、周囲とそこそこ協調し、組織全体の潤滑油にはなれる、そういう「つなぎ世代」かもしれない。おのずと「体臭」は薄く、世代単位の悪弊や、断ち切るべき「負の連鎖」はさほどないと考える。思いつかない。
もっとも、自分のニオイは気づきにくいもの。PC画面の裏でいま、「そんなどっちつかずが鼻につくんだよ、あんたら」という声がしたぞ。
冨永 格