ドイツの芸術運動の中で生まれた言葉
アルバム「分離派の夏」はイマジネーション豊かな美しく刺激的な作品だった。
既成の音楽のスタイルで言えばR&Bになるのかもしれない。でも、そういうジャンルでは語れない詩的な映像感、情景感がアルバム全体を一つのトーンで覆っている。作詞も作曲も編曲も音のプログラミングも彼が手掛けている。
例えば、流れ星のような傷の入った色褪せた古いストリートフィルムを見ているような感覚と言えばいいだろうか。歌詞の中には渋谷や新宿などの地名も登場する。でも、それは現実にある東京の都会ではない。記憶や想像の中にだけ見え隠れする既視感の街だ。曲を弾くというよりイメージを音にしてゆくような演奏。あの夏の日、あの雨の夜の様子。街角で交わされた会話や人の流れ。ファルセットと地声がミックスされた彼の歌はまるでトーキング・ポエムのようだった。
もう一つの印象は「白昼夢」のようなロックアルバム、だった。
アルバムの四曲目に「Daydreaming in Guam」という曲がある。でも、歌われているのは常夏の島、グアム、青い海と空、サンゴ礁の青春というイメージではない。出てくるのは線香と陽炎と遺影である。静かに低く聞こえるホーンセクションが遠い潮騒のようだ。どこかで悲鳴のような声も聞こえる。非現実的な白昼夢のようなロック。アルバムのテーマは「少年期」だったという。
アルバムの中にもう一曲、彼ではない男性のモノローグがあった。6曲目の「101117@El Camino de Santiago」。スペインからポルトガルまでの800キロを30日かけて歩くという旅の6日目、サンチャゴでの録音。彼は、勤めていた会社を辞めて旅に出た理由を語っていた。毎日、出勤してタイムカードを圧している時に、歯車として消費されるだけの自分に空しさを感じて辞めたと語っていた。
「彼も大事な友人です。元々は会社員だったんですけど、ドイツのベルリンに留学して小説家を目指してました。会社を辞めた時の話をして欲しいと思って連絡したら旅に出ていた。思いついた時に録ってくれと頼んだんですね」
彼の名は酒井一途。今、宇多田ヒカルの新作アルバム「初恋」の特設サイトで、宇多田ヒカル、小袋成彬と三人の座談会が随時公開されている。
アルバムの中でプロデューサー・宇多田ヒカル自ら参加しているのが「Lonely One feat.宇多田ヒカル」。一人ぼっちにはなりたくないと思いつつ、仲のいいふりも出来ない。いま、どこか荒野でひとり吠えている「僕らおおかみ」。ヘルマン・ヘッセの小説「荒野のおおかみ」がモチーフになったという宇多田ヒカルのアルバム「Fantome」の中の同名の曲と重なり合った。
群れの中で周りと同じように生きられない。元々、19世紀から20世紀初頭のドイツの芸術運動の中で生まれた言葉だったというアルバムタイトル「分離派」は、彼らのそんな生き方を象徴しているようにも思った。