徴兵拒否し渡ったNYで作曲も幻になった「オケージョナル序曲」
そして......ブリテン自身が、この曲を作曲したことを、「完璧に」忘れてしまったのです。そんなことがあるかと驚くばかりですが、ブリテンは、1972年にニューヨーク公立図書館に所蔵されていた、自筆譜を見せられるまで、本当にすっかりその存在を忘れていたのです。その証拠に、「オケージョナル序曲」という同じタイトルで、作品番号38の全く別の曲を作ってしまっていました。
作曲家自身に忘れられ、30年後に、アメリカで再発見されたこの曲は、改めて「アメリカ序曲」と名前を変えて、1983年、サイモン・ラトルが指揮するイギリスのバーミンガム市交響楽団によって、やっと初演されたのです。
アメリカの作曲家、A.コープランドの影響が感じられるこの曲は、時として難解なこともあるブリテンの作品としては、意外なほど素朴で聞きやすく、演奏時間も10分ほどで、近年では、演奏会のオープニングなどに取り上げられることも多くなっています。埋もれさせておくには惜しい、素敵なオーケストラ曲です。
「アメリカ序曲」を作曲し終えた頃のブリテンは、戦争に巻き込まれた祖国イギリスに帰ろうと、ニューヨークの埠頭で、乗船の順番を待っている状態でした。そしてこのころは、アメリカ大陸に渡っても、そして祖国に帰っても創作力旺盛だったブリテンが、数か月ほど作品を書いていないとされる「空白期間」だったのです。祖国へ戻りたい、とはやる気持ちが、「アメリカ序曲」の存在をすっかり忘却させてしまったのでしょうか?
本田聖嗣