政治思想史分野で活躍する仲正昌樹氏が、10年ほど前に著した「集中講義! 日本の現代思想~ポストモダンとは何だったのか」(NHKブックス 2006年)ではやくも喝破していたように、「大きな物語・大理論」を再び求めたいという願望から、「かつての『現代思想』の旗手たちや、その影響を受けてジェンダー・スタディーズやカルチュアル・スタディーズなどの『差異ポリティクス』に従事していた人々が『左旋回』して、旧来の左派といつの間にか"合流"し、"新自由主義者"や"ナショナリスト"などの『右』勢力と正面から対峙するようになった。そのため、今や『思想業界』は、1970年代以前のわかりやすい『左/右』の二項対立状況に戻ったかの様相を呈している」。二項対立は素人にわかりやすい構図だが、現実の複雑な人間社会の問題の解決にはあまり貢献しないことは明らかだ。
「リベラルが衰退して日本は右傾化した」のか
そのような中、朝日新聞出版から「朝日ぎらい~よりよい社会のためのリベラル進化論」が、この6月に出版された。著者は、作家の橘玲氏で、2016年の新書大賞を受賞した「言ってはいけない~残酷すぎる真実」(新潮新書)などで、最先端の科学的知見を披露する。
橘氏は、「リベラルが衰退して日本は右傾化した」という見方に懐疑的で、そのように見えるのは、朝日新聞に代表される日本の「リベラリズム(戦後民主主義)」が、世界全体ではリベラリズムが勝利を収めつつある中、根底に「普遍性」を持つなどの「グローバルスタンダード」のリベラリズムから脱落しつつあるからだという。
また、「右傾化」は、「アイデンティティという病」から生まれるグロテスクな「愛」と「正義」のことだとする。アイデンティティは、進化の過程で脳に埋め込まれた自己と集団を一体化させる仕組みだそうだ。知識社会の進展の中で、この病を解決するのは極めて難しく、著者は悲観的だが、個人が複数のアイデンティティがもてるような社会を構築するしかないと思える。「朝日ぎらい」の本質は、「愛国」を拒否する朝日新聞の論調が、脆弱なアイデンティティしかもたない人々のそれを傷つけるからだとする。
本書のあとがきで、「『リベラル』を名乗る組織は、リベラルがどのようなものかを身をもって示す責任を負っている。多くのひとがそれを見て、『自分もあんなふうになりたい』と思うことで社会は前に進んでいくのだ」とし、「リベラリズムを蝕むのは『右(ネトウヨ)』からの攻撃ではなく、自らのダブルスタンダードだ。」という。日本の「リベラル派」の復活には、「愛国」との関係の整理のほか、かなりの覚悟と自己規律が求められそうだ。
宇宙船ビーグル号の教訓
昨年、創元SF文庫から新版が出た古典「宇宙船ビーグル号の冒険」(A・E・ヴァン・ヴォークト著)は、このような観点からも興味深い著作だ。巨大宇宙船ビーグル号は、科学者と軍人1000人を乗せ、長期の宇宙探索に出て、日本の往年の人気SF「ダーティペア」にもその子孫が出てくる猫型生命体ケアル、人間の精神を攻撃するリーム人、のちの映画である「エイリアン」のプロットがこれに類似するというので訴訟沙汰になった超生物イクストルなどが登場し、人類が科学の知識を動員して撃退するというものだ。最初に読んだのは集英社のジュニア版で、小学生の高学年のときだと思うが、若い主人公エリオット・グローヴナーが、縦割りで全体をうまく把握できず、内部抗争にふける諸科学(人文・社会科学も含む)を総合した「総合科学」(ネクシャリズム)の知識を総動員して、上記の宇宙怪物(ベム)を鮮やかに撃退し、宇宙船の中で評価と信頼を得ていく快進撃がとても痛快だった。文庫の最後にある、中村融氏の解説によれば、この著作は、国内と海外での評価が大きく違っているものの最たるものだという。スペースオペラ的ロマンチシズム、ホラー・タッチ、科学的なセンス・オブ・ワンダーなどの「本書の重層性」に日本の読者が「SFの1つの理想形」を見ていると指摘する。著者ヴォークトが個々の短編を集めて長編(原書1950年)とする際に、「部局間の内部抗争」というプロットを採用したことが、現代的で身近な問題として迫ってくることになったという。
評者としては、小学生時代に感動した、進んだ「催眠学習」により習得される「総合科学」(ネクシャリズム)の登場も夢想したいところだ。現実は、冒頭の仲正氏がその著作でいうように、「大きな理論の構築よりも、『常識』とされているものを捻(ひね)って見るためのヒントとなるような、事物を細かく切り分けていくための"若干の分析装置"を提供できれば、上等ではないか」という冷静な視点がいまの時代には求められていると考えた。
経済官庁 AK