野外で薄まる不健全
お酒が絡む随筆は、左党を「いますぐ呑みたい」気持ちにさせれば、読み物として成功といえる。一にも二にも筆者の肌感覚と、それをどう表現するかの勝負になる。大竹さんのように、握り飯やサンドイッチで呑める人は「真正」の呑み助であり、飾らない筆致が同輩の共感を誘うはずだ。
休日の昼酒はアルコール中毒の予兆とも言われるし、下戸の方は「予兆どころかすでに患者ではないか」という疑念を持つかもしれない。しかし、昼酒にしかない旨さというのも確かにある。せっかくなのでカクテルに例えるなら、まだ元気な胃腸にたっぷりの時間を加え、数滴の背徳感を垂らしてシェイクしたような味わい、とでもいおうか。こいつを何百杯も飲んだ私が言うのだから、間違いない。
いま思い出した。テレビ番組だったか随筆だったか、昼食のイタリアンを用意しながら、味見だけで白ワインを1本空けてしまう塩田ノアさんのエピソードが好きだ。
同じ昼酒でも、大竹さんは自宅ではなく野外での一杯について書いている。昼から呑むことの不健全さが、アウトドアの爽やかさで半ば中和され、背徳臭はかなり薄くなる。
彼はどうか知らないが、私はこれを、自分に言い聞かせるように書いている。
冨永 格