タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
前回、宇多田ヒカルの「Automatic」を"戦後ポップミュージック史上最大の衝撃"と書いた後に、もう一曲触れておかなければいけないと思った曲があった。
確かに史上最大のセールスというような規模はなかったものの、それまでに聞いたことのない音楽であり、その後のJ-POPのありようを変えてしまうだけの影響力を持っているという点では最初で最後と言って過言ではない。今聞いても、あの曲の持っている破天荒で型破りなエネルギーに変わりはない。むしろ時が経つに連れてその唯一無二ぶりが際立ってくるようにも思う。
1978年6月25日発売、サザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」である。
「言葉の呪縛」から解き放つ
70年代の初めに「英語日本語論争」という議論があったことなどご存じない方の方が多いだろう。日本語でロックは歌えるかというのがそのテーマだった。ロックは元々海外で生まれた音楽であり、英語のリズムに合っている。母音で終わるためにリズムに乗りにくい日本語では無理だ。しかも海外で成功するには英語でないと通用しない、というのが英語派であり、日本人に向けるのだから日本語で歌うべきだというのが日本語派の考えだった。前者の筆頭が内田裕也であり後者が日本語のロックの元祖と言われるはっぴいえんどである。彼らがそういわれるのは、それまでにない言葉とリズムの関係を作り出したからだ。
どうやって日本語をロックのリズムに載せるのか。同じ時にデビューした吉田拓郎の一つの音符に言葉を詰め込んだ「字余りソング」も矢沢永吉がリーダーだったバンド、キャロルの巻き舌英語風日本語もそんな試みだった。
「勝手にシンドバッド」の衝撃は、そうした過去の事例の比ではなかった。「砂まじり」ではない「すーなまじり」の茅ヶ崎である。それだけで「ノリの勝負」に勝ったと言っていい。意味や説明を無視した書きなぐりのような言葉。それでいて情景も見えるし気分も伝わってくる。始まりは「ラララ」である。英語も日本語ももどかしい怒涛のようなエネルギーがメロディーとリズムとともに爆発してゆくやけっぱちのような「どっちでもいいじゃん」感覚は痛快そのものだった。桑田佳祐が84年に出した歌詞集につけた「ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」というタイトルは、まさにその時の気分だったのだろう。「勝手にシンドバッド」は日本のロックやポップスを「言葉の呪縛」から解き放ったように思えた。その後に彼らが受けた「日本語を壊した」というバッシングや際物的「コミックバンド」扱いは、その衝撃の裏返し以外の何物でもないだろう。