「決して成就しない恋」がよく語られるが...
直接的には、右手を故障中のクララが、左手だけで弾けるようにというのが編曲の動機です。しかしこの曲には、ブラームスの、同じドイツの偉大な大先輩であるJ.S.バッハへのリスペクトが詰まっており、同じ「ドイツの作曲家」でもあるクララと、その価値観を共有したかった、ということも言えると思います。
すなわち、オリジナルのバッハ作品は、「無伴奏ヴァイオリン」という、ごくごく限られた楽器編成・・・1人なので、編成というのも奇妙ですが・・・の限界に挑み、「ただ1本のヴァイオリンでここまで素晴らしい曲を構築できるとは!」という驚嘆すべき曲になっているのです。それを豪華にして、言いかえれば音をたくさん付け加えてピアノ曲にするのではなく、左手1本だけで弾くピアノという、これまたハンデのある状況の中で同じ限界に挑もう、としたと思われるのです。この曲は、原曲に非常に忠実に編曲されているのです。もちろん、原曲が素晴らしいので、ブラームスの編曲も素敵な作品に仕上がっていますが、バッハのオリジナル作品がヴァイオリニストにとって大変挑戦的なものであるのと同じく、ブラームスの「ピアノ左手版」も名手の演奏を必要とする難易度の高い作品となっています。
ブラームスというと、ロベルト没後の未亡人であるクララとの「決して成就しない恋」がよく語られますが、この「シャコンヌ」の編曲を見ても、「制限された中での限界に挑む」ブラームスの性格が透けて見えるようです。この曲が、クララに献呈された、というのは大変象徴的です。
本田聖嗣