先週は、J.S.バッハが無伴奏ヴァイオリンのために書いた名曲「シャコンヌ」――正確には「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ より パルティータ第2番 第5曲 シャコンヌ」――をピアノの名手でもあったイタリアのブゾーニが、独奏ピアノのために編曲したものをとりあげましたが、今週取り上げる曲も、バッハのこの名曲の編曲の登場です。
編曲したのは、交響曲や室内楽などでも名高い、北ドイツ出身でウィーンでも活躍したヨハネス・ブラームスです。
そして、この編曲で使う楽器は、ブゾーニ版と同じピアノ。しかし、ブラームスが編曲した作品は単なるピアノ版ではありません。なんと、左手だけで弾く、「左手のための『シャコンヌ』」なのです。
夫を亡くしたクララ・シューマンに捧げる
ブラームスもまた、ピアノの名手でした。若いころからピアニストとして各地で演奏し、自作もたくさん初演しましたし、重要な友人だったヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムとも数多く共演しています。
そんな彼が、なぜ、バッハの名曲シャコンヌを編曲するにあたって、左手のためだけに書いたのでしょうか。それには、もう一人のピアニストが登場します。ブラームスが、20歳の時に出会った作曲家ロベルト・シューマンの妻、クララ・シューマンです。クララは、夫ロベルトのピアノ教師だったフリードリヒ・ヴィークの娘で、英才教育を受けて、女性の活躍が限られている時代に、ピアニストとして華々しい活躍をしていました。ロベルトが若干46歳で亡くなった時、9歳年下のクララはまだ30代半ば、残された8人の子供をまさに腕一本で育て上げなくてはならず、作曲の才能もあったクララでしたが、作曲よりはすぐにお金になるピアニストとして、また、亡夫の作品を世に少しでも知ってもらうという宣伝活動も兼ねて、ひたすら演奏会を開いたのです。
シューマン家に出入りし、音楽評論家でもあったロベルトに認められて、世に出してもらった青年ブラームスは、残されたクララに、作曲に関しての助言を求めたり、また作品を献呈したりと親しい関係が続きます。
あるとき、クララが、怪我で右手が使えない時期がありました。ブラームスは、早速、左手のための作品を作り上げて、クララに捧げる・・・それが、今日の1曲です。ブラームスは、無伴奏ヴァイオリンのための名曲であるバッハの「シャコンヌ」を左手のためだけに編曲することを選んだのです。