タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
天才というのは、普通の人では出来ない能力を持っている人と言っていいと思う。どんなことでもいい、普通の人がどれだけ時間をかけても出来ないことを何の苦も無くやってしまう。そういう能力を持った人はどんなジャンル、どんな仕事にもいるのだと思う。でも、その人自身はその「才能」に自覚的ではなく、むしろ予想外と受け止めている。
「FIRST LOVE」と「初恋」
6月27日に7枚目のオリジナルアルバム「初恋」を発売した宇多田ヒカルのオフィシャルインタビューの中にこんな発言があった。
「「誓い」の一部が公開された時、「リズムの取り方がわからない」、「どういう拍子だか理解が出来ない」という反応が多かったんです。私自身は、すごく単純で心地の良い6/8拍子のつもりだったんで、それはとても予想外な反応でした。(中絡)。自分にとってはごく普通でしたが、実は独特なノリで、誰にでも感じられるものではないんだと気付かされて」
新作アルバム「初恋」は、2010年の「人間活動」宣言以来休止していた「音楽活動」の再開アルバムだった「Fantome」以来約1年9か月ぶり。「誓い」は、オリジナルとしては2008年の「HEART STATION」以来8年ぶりだった前作のレコーディングが終わってからの「もう抜け殻だ、何もない」という状態の中で「まだ作れる」と思わせてくれたという曲だ。
つまりアルバム「初恋」のきっかけになった曲と言って良いのだろう。そのリズムが、彼女にとっては「ごく普通」なつもりが周りにとってはそうではなかった、というのである。
宇多田ヒカルは98年12月、シングル「Automatic」でデビューした。スクラッチの音で始まるR&Bのグルーブと日本語のイントネーションを解体したような英語的な言葉のリズム。艶やかで濡れたような、それでいて可憐で切ない声の響き。しかもラジオからしか流れてこず、プロモーションビデオは愛くるしい女の子がカメラ目線で歌っているだけという手作りのような映像。「これ、誰」と思った人も多かったのではないだろうか。決して鳴り物入りのデビューではなかった。彼女が15歳と知った時の驚きは、70年代に一世を風靡した藤圭子の娘だと明かされ更に大きくなっていった。デビュー曲の衝撃という意味では戦後のポップミュージック史上最大だったと言って過言でないだろう。
翌年、1999年に発売されたデビューアルバム「First Love」の800万枚以上という数字は史上最初で最後だろう。
新作アルバム「初恋」のタイトルを見てあのアルバムを連想した方は多いはずだ。同じ意味の言葉を使いながら表記が日本語になっている。そこにアルバムを解き明かす鍵があるように思った。
自分の中のセンサーシップを取り払った
アルバム「初恋」の何よりの印象は「言葉」だった。つまり「日本語」である。
一曲目の「Play A Love Song」の中で「僕の言葉の裏に他意などないよ」と歌っている。長い冬も悲しい出来事もいつか終わる。その時笑ってラブソングを歌うことが出来るだろうか。そのオフィシャルインタビューの中で彼女は、「前作で自分の中のセンサーシップを取り払った」という話をしていた。センサーシップというのは「検閲」である。今まで歌にするには避けていたテーマや控えていた言葉も自由に使った。一曲目は、このアルバムには「裏も他意もない」という力強い意思表示のようにも聞こえた。
何気なく聞いていて「今、何と歌った」と聞き直したのが二曲目の「あなた」だった。その後に「初恋」「誓い」と日本語のタイトルの曲が並んでいる。どれも「日本語の使い手」としての新境地を思わせる曲だ。
こんな風に歌っている。
「神様お願い 代り映えしない明日をください」
「代り映えしない明日」である。
若いロックバンドの例を持ち出すまでもなく、多くの歌で歌われているのは「代り映えのしない明日との決別」だろう。「あなた」はそういう歌ではない。歌詞の中には「燃え盛る業火の谷間が待っていようと」とか「戦争の始まりを知らせる放送も」という言葉もある。「代り映えのしない明日」が来ることにこそ意味がある。戦火やテロに隣接しているヨーロッパの状況もあるのだろうが、少なくともここまで正面から「迷いや煩悩の時代の中のあなた」と向き合った歌は音楽活動休止以前にはなかったのではないだろうか。一曲目の「Can We Play A Love Song」の主語は「I」ではなく「We」だった。つまり「私たち」である。
「私の歌詞のテーマは他者との関係性」
冒頭の「天才」という話に戻る。
2010年、「人間活動」に専念したいと「音楽活動」を休止した時に、筆者が担当していたFM NACK5の番組「J-POP MAGAZINE」(当時)のインタビューでこんな話をしていたことがある。
「おいしいパンを作るとかいろいろあるのに、何で曲が創れるとこんなに持ち上げられるんだろう?っていうのが、ちょっと自分でも分からないですよね」
「私には野心がないんだと思って。ある日気付いたら、周りにいる人が野心家だらけだったんですよ。それはこの業界でも他の世界でも普通なんですよね。だから友達にも私が野心家だと勘違いしている人もいて。いや、待て、私違うんだけど、みたいな感じになったんですね。批判されたりすること以上に、周りが持ち上げることに恐怖を感じた」
「J-POP列伝~音楽の中に君がいる」(シンコーミュージック刊)という本にも収録されているそのインタビューで「人間活動」についてこうも言っている。
「簡単に言っちゃうと、このまんまいくことで、40歳とか50歳のおばさんでマネージャーがいなきゃ何も出来ない、みたいな人間になるのが恐かったんですね」
彼女がデビューするきっかけがたまたまスタジオで出会ったレコード会社のプロデューサーに「日本語で歌ってみないか」という誘いから始まっている話は有名だ。何の野心もなく軽い気持ちで歌った曲がいきなり「歴史を変えた曲」になってしまう。
彼女にすれば「こんなに簡単なことでこんなに賞賛されるのか」だったのかもしれない。
幼少の頃からスタジオに寝起きし、音楽が「日常」だった15歳が、いきなり「天才バイリン少女」に祭り上げられる中で、誰もが経験する「人としての営み」を求めて踏み出したのが「人間活動」だったと思う。
アルバム「初恋」のオフィシャルインタビューで彼女は「私の歌詞のテーマは他者との関係性」と話している。自分に影響を与えた「他者」。自分を生んでくれた「母親」や「家族」、関わりを持った「友人」や音楽の「聴き手」、そして、遥か遠い国に住む見知らぬ人たち。アルバムの中には、様々な「他者」が登場している。そんな関係性の出会いを象徴しているのが「初恋」なのだろうと思った。
前作の「Fantome」は、「人間活動」から「音楽活動」に復帰した第一作だった。休止中に自分に最も影響を与えた「母親」の死という「終わり」と、新しい生命の「始まり」も経験している。母親に対しての思いが随所に伺えた前作に対してアルバム「初恋」は、瑞々しく力強い。「初恋」の後の「誓い」は「共に生きることを誓おうよ」と歌っている。
アルバムの後半には「残り香」「大空で抱きしめて」「夕凪」「嫉妬されるべき人生」と日本語タイトルの曲が並んでいる。「壊れるはずがない物が壊れる」と知ってしまった「残り香」、「全てが例外なくいつかは終わります」と歌う「夕凪」。どれも儚いほどに美しい日本語のラブソングだ。最後は、彼女が「究極のラブソング」という「嫉妬されるべき人生」で終わっている。老夫婦が添い遂げる、という歌だ。どの曲も当たり前なスタイルに収まっていない。誰にも真似できないであろう才能がほとばしっている。
アルバムの中の「終わりと始まり」。人は生まれ、そして死ぬ。いくつかの出会いと別れがあり、再び何かが始まって行く。だからこそ「初恋」は美しい。
今年の12月、彼女はデビュー20周年を迎える。
前人未踏の20年。前例なき音楽活動。
宇多田ヒカルは、ここから始まるのだと思う。
(タケ)