「私の歌詞のテーマは他者との関係性」
冒頭の「天才」という話に戻る。
2010年、「人間活動」に専念したいと「音楽活動」を休止した時に、筆者が担当していたFM NACK5の番組「J-POP MAGAZINE」(当時)のインタビューでこんな話をしていたことがある。
「おいしいパンを作るとかいろいろあるのに、何で曲が創れるとこんなに持ち上げられるんだろう?っていうのが、ちょっと自分でも分からないですよね」
「私には野心がないんだと思って。ある日気付いたら、周りにいる人が野心家だらけだったんですよ。それはこの業界でも他の世界でも普通なんですよね。だから友達にも私が野心家だと勘違いしている人もいて。いや、待て、私違うんだけど、みたいな感じになったんですね。批判されたりすること以上に、周りが持ち上げることに恐怖を感じた」
「J-POP列伝~音楽の中に君がいる」(シンコーミュージック刊)という本にも収録されているそのインタビューで「人間活動」についてこうも言っている。
「簡単に言っちゃうと、このまんまいくことで、40歳とか50歳のおばさんでマネージャーがいなきゃ何も出来ない、みたいな人間になるのが恐かったんですね」
彼女がデビューするきっかけがたまたまスタジオで出会ったレコード会社のプロデューサーに「日本語で歌ってみないか」という誘いから始まっている話は有名だ。何の野心もなく軽い気持ちで歌った曲がいきなり「歴史を変えた曲」になってしまう。
彼女にすれば「こんなに簡単なことでこんなに賞賛されるのか」だったのかもしれない。
幼少の頃からスタジオに寝起きし、音楽が「日常」だった15歳が、いきなり「天才バイリン少女」に祭り上げられる中で、誰もが経験する「人としての営み」を求めて踏み出したのが「人間活動」だったと思う。
アルバム「初恋」のオフィシャルインタビューで彼女は「私の歌詞のテーマは他者との関係性」と話している。自分に影響を与えた「他者」。自分を生んでくれた「母親」や「家族」、関わりを持った「友人」や音楽の「聴き手」、そして、遥か遠い国に住む見知らぬ人たち。アルバムの中には、様々な「他者」が登場している。そんな関係性の出会いを象徴しているのが「初恋」なのだろうと思った。
前作の「Fantome」は、「人間活動」から「音楽活動」に復帰した第一作だった。休止中に自分に最も影響を与えた「母親」の死という「終わり」と、新しい生命の「始まり」も経験している。母親に対しての思いが随所に伺えた前作に対してアルバム「初恋」は、瑞々しく力強い。「初恋」の後の「誓い」は「共に生きることを誓おうよ」と歌っている。
アルバムの後半には「残り香」「大空で抱きしめて」「夕凪」「嫉妬されるべき人生」と日本語タイトルの曲が並んでいる。「壊れるはずがない物が壊れる」と知ってしまった「残り香」、「全てが例外なくいつかは終わります」と歌う「夕凪」。どれも儚いほどに美しい日本語のラブソングだ。最後は、彼女が「究極のラブソング」という「嫉妬されるべき人生」で終わっている。老夫婦が添い遂げる、という歌だ。どの曲も当たり前なスタイルに収まっていない。誰にも真似できないであろう才能がほとばしっている。
アルバムの中の「終わりと始まり」。人は生まれ、そして死ぬ。いくつかの出会いと別れがあり、再び何かが始まって行く。だからこそ「初恋」は美しい。
今年の12月、彼女はデビュー20周年を迎える。
前人未踏の20年。前例なき音楽活動。
宇多田ヒカルは、ここから始まるのだと思う。
(タケ)