自分の中のセンサーシップを取り払った
アルバム「初恋」の何よりの印象は「言葉」だった。つまり「日本語」である。
一曲目の「Play A Love Song」の中で「僕の言葉の裏に他意などないよ」と歌っている。長い冬も悲しい出来事もいつか終わる。その時笑ってラブソングを歌うことが出来るだろうか。そのオフィシャルインタビューの中で彼女は、「前作で自分の中のセンサーシップを取り払った」という話をしていた。センサーシップというのは「検閲」である。今まで歌にするには避けていたテーマや控えていた言葉も自由に使った。一曲目は、このアルバムには「裏も他意もない」という力強い意思表示のようにも聞こえた。
何気なく聞いていて「今、何と歌った」と聞き直したのが二曲目の「あなた」だった。その後に「初恋」「誓い」と日本語のタイトルの曲が並んでいる。どれも「日本語の使い手」としての新境地を思わせる曲だ。
こんな風に歌っている。
「神様お願い 代り映えしない明日をください」
「代り映えしない明日」である。
若いロックバンドの例を持ち出すまでもなく、多くの歌で歌われているのは「代り映えのしない明日との決別」だろう。「あなた」はそういう歌ではない。歌詞の中には「燃え盛る業火の谷間が待っていようと」とか「戦争の始まりを知らせる放送も」という言葉もある。「代り映えのしない明日」が来ることにこそ意味がある。戦火やテロに隣接しているヨーロッパの状況もあるのだろうが、少なくともここまで正面から「迷いや煩悩の時代の中のあなた」と向き合った歌は音楽活動休止以前にはなかったのではないだろうか。一曲目の「Can We Play A Love Song」の主語は「I」ではなく「We」だった。つまり「私たち」である。