■「棒を振る人生 指揮者は時間を彫刻する」(佐渡裕著、PHP文庫)
指揮者・佐渡裕、57歳。
京都に生まれ、クラシック好きな父と兄をもち、小学生の頃から三十段の楽譜を毎日読み、友だちに将来ベルリンフィルで指揮をする、と夢を語った。青年時代は、三年間、何の保証もなくウィーンで音楽三昧した。そして34歳で世界のトップに仲間入り。
本書は、佐渡裕が音楽の都ウィーンから日本に送るメッセージである。
人間はなぜ音楽を求めるのか。
人は、本能で自然から感じ取る力を持っているという。
静かな場に身を置くと、A音と倍音のE音が聴こえてくるそうだ。演奏前の調音に用いるA音は、自然界で最も強く響き基準に感じる音だ。明るく美しく聞こえる和音はドミソ、ハ長調。死や地獄、悲しみを表す和音はレファラ、ニ短調。私たちの本能は作曲家が調性を変えるだけで反応するのである。
佐渡裕はベートーヴェンの「第九」を150回以上指揮している。第九はニ短調。指揮者は楽譜から作曲家の情熱と意図を読み取り楽団員に伝える職人とも言える。
ベートーヴェンは、第九のメロディに、ミ♭(フラット)とファ♯(シャープ)を加えている。ミ♭は、モーツァルトの「魔笛」やベートーヴェンの「皇帝」でも使われる音。神々しさ、金色、オーラを感じる。ファ♯はレとラのちょうど中間。この音を加えることで国境、宗教、人種を超えて人と人がひとつになれる。
シラーは、階級差別や貧富の差が激しかった当時、「みんながひとつになるべきだ」と歓喜の詩を作った。ベートーヴェンは、この詩こそ第九にふさわしいと確信し、交響曲に初めて人の声が使われた。
佐渡の音楽観は第九を経験して変化した。かつては、いい音をつくり、多くの人に喜びと感動が生まれることが音楽だった。今は「人と人とが生きる歓びを感じる証が音楽だ」と考えているという。