時代を先取り ウェーバー「舞踏への勧誘」の斬新さ

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   クラシック音楽が難解とされる理由の一つに、音楽が哲学的な内容を表しているから、ということがあります。

   楽しみのための音楽だけではなく、宗教音楽などもルーツに持つクラシックは、音楽で宗教的感情や哲学的内容を描こうとすることも多く、また、教会や宮廷が音楽の注文主だった時代には、作曲家はたくさんの曲を量産する職人のような存在で、曲にいちいち個別の題名をつけることも現実的でなく「第何番」「作品番号何々」とだけつけざるを得ない側面もありました。曲の題名が単なる番号だけのことも多い・・・これもまたクラシック音楽が敬遠される一つの理由であるような気がします。それが証拠に、「ベートーヴェンの第5交響曲」というより「ベートーヴェンの『運命』」」という後付けのタイトルのほうが、はるかに親しまれているからです。

   そんな「難しい音楽」が存在する一方で、固有の題名があり、哲学や宗教よりダンスという楽しみのためで、抽象的な感情などではなく、実際の人間の動きを描写した音楽である――こういう曲を「標題音楽」といいます――という曲が、本日取り上げる1曲です。ウェーバーの「舞踏への勧誘」です。

  • ウェーバーの肖像
    ウェーバーの肖像
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ピアノソロの曲ながらオペラ風

   モーツァルトの妻コンスタンツェの親戚でもあるウェーバーは、古典派からロマン派へ時代が移り変わる端境期の作曲家でした。以前、この連載でも取り上げましたが、それまで、彼の地元ドイツでも圧倒的に優勢だったイタリア・オペラに対して、ドイツに伝わる伝承をもとにした、ドイツ語のオペラ「魔弾の射手」を完成させて、その後のワーグナーの活躍に道を開いた「ドイツオペラの祖」でもあります。

   今からほぼ200年前の1819年、33歳でピアニスト、歌劇場の指揮者としても活躍していたウェーバーは、オペラ歌手だった妻カロリーネのために、楽しいピアノ独奏曲を作曲します。「舞踏への勧誘」と名付けられたその曲は、最初は距離があった男女が、会話を交わし、親しくなり、愉快なダンスに興じるまでを描写的に描いたロンド形式の曲で、実際に、ウェーバーは妻に向かって曲を弾きながら「ここは何々の場面」と逐一説明したそうです。宮廷が没落し、庶民が舞踏に興じるようになってきた19世紀初め、大変わかりやすい「描写音楽」だった「舞踏への勧誘」は、ピアノという19世紀に爆発的に売り上げを伸ばした楽器とともに、広く人々に知られてゆくようになります。

   宮廷の中で作られていた「第何番」という無味乾燥な題名よりも、「舞踏への勧誘」というごくわかりやすい題名とともに、描写的な音楽が作られているわけで、ピアノソロの曲ではありますが、とてもオペラ風、とも言えます。もともとドイツ、つまり地元のオペラの振興に尽力したウェーバーならではの曲作りと言えるでしょう。「舞踏への勧誘」の2年後、彼の代表作となるオペラ「魔弾の射手」が発表されています。

   「舞踏への勧誘」は、とても描写的な音楽で人気を博しただけでなく、舞踏のシーンで使われる音楽は、なんと世界最初のウィンナー・ワルツであるともいわれています。現代のウィーンフィルのニューイヤーコンサートでも、ウィンナー・ワルツのルーツとして、「舞踏への勧誘」が演奏されることもあるぐらいです。ワルツ、という点から言っても、時代を先取りした曲でした。

音楽の新時代を切り開いた

   この大ヒット曲は、ウェーバーの精神的フォロワーだった隣国フランスのベルリオーズ(この人も「幻想交響曲」など描写的な音楽を書きました)によって、オーケストラに編曲され、これも人気曲として、現在でも広く演奏されています。

   わずか39年の短い生涯だったウェーバーですが、彼はオリジナリティーあふれる作品で、音楽の新時代をいろいろな意味で切り開いた人だったのです。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

   私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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