■「#社会保障、はじめました」(猪熊律子著、Scicus)
「ユース年金学会」なるユニークな学会がある。参加メンバーは大学のゼミや研究グループの学生達。一昨年、昨年と2回開催され、評者も発表を聞かせていただいた。「持続可能性の確保」、「大学生の国民年金加入」など年金をめぐる様々な課題について、同世代にアンケートを行ったり、年金の給付カットに反対する退職者団体にインタビューに出かけたりと、自らの足で調べ、考えた内容はインパクトがあった。
動画を使った発表など、若者ならではの工夫も素晴らしかったが、「公的年金が一体、自分たちにとって、どんな意味があるのか」、「親世代にとっては、どうなのか」、「高齢者の目にはどう見えているのか」など、突き詰めて問う姿勢が印象的だった。若者が自らの問題として真摯に取り組む姿勢に、問われる側も胸襟を開き、退職者団体のシニア達から、「若い世代の将来の年金のためには合理的な給付カットはやむなし」とのコメントを引き出したことには驚いた。
課題の本質をぐいぐい掘り下げていく
本書は、社会保障には縁遠いと思われる高校生や大学生が、年金、医療、子育てといった社会保障の課題について、ざっくばらんに語り合った様子を、マンガを交えながらレポートした本。「ポジティブに語ってみたら」という表題どおり、自分達の問題として、とらえ、そして、課題の本質をぐいぐい掘り下げていく様子に驚かされる。
著者は、読売新聞で社会保障部長を務めた編集委員。以前、若い人たちに、社会保障に対する理解を深めてほしいとの思いから、YOMIURI ONLINEに連載したコラム「一緒に学ぼう 社会保障のABC」の書籍化を進める中で、こうした企画が立ち上がったという。
本書は、本の表と裏、どちら側からも読める「両面表紙」構成。表側は、若者達による「社会保障の哲学カフェ」のライブレポート。裏から始まる「立ちすくむ国を生き抜くために知りたかったので」編では、日本の社会保障、特に、国民皆保険・皆年金について、新聞記者ならではの文章技術で、わかりやすく解説されている。
議論を通じて結論が変わってくる
表側の「高校生・大学生がポジティブに語ってみたら」編では、学生4~5人が1組となり、いくつかの社会保障の課題について、グループディスカッション(社会保障の哲学カフェ)を行った様子がレポートされている。
最初は、やや表層的な理解の下で議論がスタートするが、語り合う中で、中身が深まり、展開していく様子は、「感動的」ですらある。学生達の感性の豊かさと、グループディスカッションの持つ威力が存分に発揮されて、説得力のある結論が生み出されてくる。
例えば、「お金持ちに年金を給付することは必要なのか」というテーマの場合、話し合いの当初は、格差を減らしていく観点から、お金持ちに年金を給付することは、必要ではないとの主張が多かった。しかし、議論を続けていると、次のような意見が出てきた。
「高所得者が年金保険料を払うだけ払って、その払った恩恵を受けられないことが分かっていたら、システム自体におそらく参加しなくなってしまう」
「年金なんて屁でもないお金持ちの人もいると思うんですよね。でも、だからこそ、そこで『おまえにとって年金は屁でもないから切るぞ』ではなくて、『権利は与える、もらうかもらわないかはおまえの自由だ』ぐらいのスタンスの方が、お金持ちの人も、デメリットというか、差別された感じが少ないのかなと」
という感じに、お金持ちとはいえど、年金を出さないことにすると問題があるぞとなってきた。
そして、さらに発展し、次のような意見が出てきた。
「(社会保障とは)社会を分断させないようにしようというのが基にあるんだろうね。お金持ちに年金を給付しないとなると、システムに参加させないのと同じで、それってある意味分断じゃん」
「年金に関しては、ちゃんとみんなにあげなきゃ駄目だよね。その分配量は考えないといけないけれど、制度に参加してもらうためにも、あげなきゃいけないよね」
社会保障が、「社会を分断させないためにある」という指摘は、実に本質を突いたものだと思う。
みんなで考え、社会保障を「自分事」に
この社会保障の哲学カフェでは、「高所得者への年金給付の是非」のほか、「健康ゴールド免許制度はうまくいくのか」、「高齢者偏重の社会保障を若者世代に振り向けよという議論をどう思うか」などのテーマが議論された。
グループごとに、アプローチや結論は若干、異なっていたが、議論を重ねるにつれて、「社会保障は何のために存在するのか」という根っこに関わる話へとつながっていく点が共通していた。
・社会保障は、損得で考えるものではない。損得勘定が出てきた時点で成り立たなくなる
・安心という目に見えない価値こそが、社会保障の意義
など、いずれも評者自身、日頃、社会保障の仕事に携わっていながら、ついつい忘れがちとなる立脚点だ。
哲学カフェという場が存在したからこそ、若い世代の人々が社会保障を「自分事」としてとらえ、考えを高め合い、こうした基本的考え、立脚点に気づいていったのだ。本書でも紹介されているように、近年、「社会保障教育」という言葉が広がり始めている。その背景には、今や、GDP(国内総生産)の約2割に相当する規模にまで達した社会保障について、国民の支持を得ながら運営していくには、若い世代の理解が必要だという考えもある。
「教育」という言葉が適切かどうかは別として、少なくとも、若手を含めて国民それぞれが、社会保障の課題について、少し時間をとってグループで話し合う機会を持つことは極めて重要だ。一見、地道なアプローチに見えるが、その場で経験するであろう「社会保障って一体何なのか」という根っこへの問いかけは、社会保障への理解とそれを支える力につながることを本書は教えてくれる。
JOJO(厚生労働省)