待てない時代 小山薫堂さんは、列車の来ない無人駅で自省した

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   DIME7月号の「scenes」で、放送作家の小山薫堂さんが「電車を待つ時間」を考察している。この連載には〈人生のありふれた光景を特別なものにするために。〉の副題と、アレックス・ムートン氏による写真がつく。今回の風景は、まっすぐに伸びる鉄路、枕木の間から生えたタンポポの綿毛という、のどかな景色である。

   小学館がビジネスパーソン向けに出している月刊誌。勤め人には、せわしない日常の中でふと立ち止まり、我に返るひとときが必要だろう。これで9回目となる小山さんのコラムは、読者の共感を呼ぶ筆致ゆえに、巻頭を飾るにふさわしい一文となっている。

「待たない時代になった。いや、待てない時代になった」

   書き出しの「言い切り」は、短いコラムの王道だ。のっけから読者に相談したり、一緒に悩んだりしていては行数をオーバーしかねない。小山さんは続ける。

「メールやLINEを送った瞬間から相手の返信が気になり始める。時間どおりに荷物が届かないと催促の電話をかけてしまう。電車が数分遅れるだけでイライラしてしまう」

   ああ、そういうことを書くのだなと、私はここで落ち着いた。

  • 数分の遅れで「大変ご迷惑を」と謝る鉄道は世界でも珍しい=東京駅で、冨永撮影
    数分の遅れで「大変ご迷惑を」と謝る鉄道は世界でも珍しい=東京駅で、冨永撮影
  • 数分の遅れで「大変ご迷惑を」と謝る鉄道は世界でも珍しい=東京駅で、冨永撮影

原点に立ち返る

   子どもの頃は「時間が無限にある気がしていた」という筆者、せっかちになり始めたのは大学を出て、働き始めてからではないかと振り返る。

   仕事時間を短縮する利器があれこれ出た。手書きからワープロへの変化は画期的だったが、それでも、1時間番組用に書いた原稿用紙60枚のテレビ台本は、プリントするのに1時間、それをFAX送りするのに数十分かかった。そんな時代からすれば今は夢のよう。だから、かつての「不便」には戻れない。ここで、起承転結の転となる。

「時間を短縮することは最もわかりやすい『便利』だが、『便利=幸福』とは限らない、と先日ゆっくりと時間が流れている場所で思った」

   どこかといえば、熊本地震から運転見合わせが続く南阿蘇鉄道(高森線)の長陽(ちょうよう)駅。ひとりの青年が無人の駅舎をカフェに改修し、頑張っているそうだ。ちなみに小山さんは熊本出身である。

「昔ながらの木造駅舎。阿蘇の清らなる風が軒先の風鈴を揺らし、心地よい音を奏でる。列車の来ないプラットホームには廃校になった学校の椅子が並んでいて、読書をするには最高の空間だ。読書に飽きたら、雑草の生えた線路に降りて...」

   列車が来るのはどれほど先のことだろう。小山さんの心に、「待つ」という行為の尊さがじんわり沁みてきたという。

「待つことは不便ではなく、進みすぎた何かに気づくための時間なのだ。原点に立ち返るきっかけなのだ」

「待てない自分」の否定

   小山さんは90年代の人気番組「料理の鉄人」の構成を手がけ、故郷の、というより全国区の人気キャラ「くまモン」の生みの親の一人としても知られる。時代を先取りするトレンド・クリエーターにして脚本家でもあり、言葉への感性は鋭く、文学的な描写も随所に見られる。上記コラムはこう結ばれる。

「そんなことを考えながら地下鉄のプラットホームに立つと、電車の来ない時間が意外と貴重なものに感じられるのである」

   場面は熊本から東京へ、列車の来ない無人駅から都会の雑踏へと転じ、話の筋はしっかり冒頭の問題提起に戻ってくる。「待てない自分」の否定である。メディアの世界で自ら「進みすぎた何か」を追い求めてきた人の言葉だけに、説得力がある。

   細部の言葉遣いから大きな展開まで、確かな日本語で書かれたものは、まず読みやすい。気が散らずに筋を追えるからだ。自戒を込めてのことだが、ひと様に読ませる文章の、やはり基本のキといえる。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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