意識的存在についての興味深いものと思われる帰結
最後に、意思の存在理由に関するエインズリーの議論がもたらす、興味深い(ものと評者には思われる)帰結に触れて評を締めくくりたい。
心理学の実験では、人間以外の動物、例えばハトにおいてさえも、双曲割引による衝動の抑制が試みられていることが知られている。ならば、ハトもまた我々人間と同じく意志を持つことになる。そして、この事実は、我々人間がその特権の拠り所として大切にしている、意識までもハトが持つことにつながる。我々の意識において重要なことは自己言及性、すなわち、自分自身を外から眺め、操作の対象となしうることにある。そう考えるなら、ハトもまた我々と同じく意識的な存在であることは揺るぎない事実となる。人間の場合、自分を眺める自分自身さえも外部からみることができる、という意味で高階の意識をもつとの反論も予想できる。ただ、果たして我々がこの高階の意識を持つという主張は本当のことだろうか。この高階の意識が、我々が記憶を参照することを通じて生まれる幻であるということはないのか。
意識的存在は世界のそちこちに散らばっている。
経済官庁(課長級) Repugnant Conclusion