タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
「私たちの時代には街にレコード屋があって、そこは愛と希望にあふれていた」――。
2018年5月20日、日本武道館で行われたMaydayのツアー「LIFE」の日本公演のアンコールで歌った「轉眠」にはそんな歌詞があった。
Maydayは漢字名を「五月天」と書く台湾のバンドである。19、20日と行われた武道館公演は彼らにとって三回目の公演。超満員の客席の大半が日本在住の台湾・中国系の若者。冒頭から原語での大合唱が続いた。歌詞と日本語の訳詞は左右のスクリーンに紹介されていた。
そうやって歌われる時代や音楽に託した夢や希望は、僕らが日本で感じてきたことや体験したことと全く変わりがなかった。
日本に紹介したのは「先輩」GLAY
Maydayは、今、アジアで最も人気のあるバンドだ。今回の武道館公演は日本でも去年発売された新作アルバム「自傳HISTORY OF TOMORROW」を携えたもので、すでに台湾を皮切りに香港や北京、アメリカ、カナダなどで約60本を開催、動員は100万人を超えているというワールドツアーの一環。Maydayのメンバーが滅亡の危機に瀕している世界を救うというSF映画のようなCGやPAを吊り上げて広々としたステージが上下するセットや演出はワールドツアーならではの大掛かりなものだった。
ただ、そこに流れているのは、そうした物理的なスケールでは測れないヒューマンなテーマだったのだ。
アルバムタイトル「自傳」がそうであるようにロックバンド特有の「人の絆」と音楽に託した過去・現在・未来という「人生」。客席との共有感もその表れのようだった。
Maydayは、ASHIN(阿信・V)、MONSTER(怪物・G)、STONE(石頭・G)、MASA(瑪莎・B)、MING(冠佑・D)という五人組。メンバーのうち4人が台湾国立師範大学の附属中学を卒業している。結成は高校生の時だ。そういう意味では将来は教師という人生設計もあったに違いない。リーダーのMONSTERは国立台湾大学を中退、ASHINもインテリア系の大学を中退している。以前、筆者のインタビューでも「結成された当時、台湾にはまだバンドがほとんどなかったので僕らには先輩がいない」という話をしていた。
彼らが生まれた70年代の台湾には戒厳令が敷かれ、日本はもとより海外の音楽文化情報は遮断されていた。解禁されたのは88年。時代が変わって行く中でバンドに「自由」を見た台湾の若者たちの心境は、戦時中に禁止されていたジャズなどの「敵性音楽」に目を開かされた戦後日本の音楽ファン、アメリカやイギリスから届いた新しいロックに人生観が変わっていった60年代、70年代の日本の若者たちと共通していたのかもしれない。
手本なき世代である。彼らは台湾で「バンド」という扉を最初に開けた若者たちだった。武道館のライブで流れた映像の中にはビートルズやピンクフロイドのLPレコードについて熱く語るメンバーによる当時の再現映像もあった。彼らがあげる好きなアーティストの中には洋楽のアーティストとともにB'zやGLAY、Mr.Children、サザンオールスターズ、椎名林檎ら日本のアーティストも多い。アンコールに登場したのは日本に彼らを紹介したと言ってもいい「先輩」GLAYだった。
アルバムの中の曲「任意門」は彼らの軌跡をありのままに歌っている。タイトルは「ドラえもん」の「どこでもドア」だ。歌詞には「行天宮の小さい部屋」「士林にあったレコード屋」「初めてライブをやった7号公園」などゆかりのある台北の具体的な地名も登場する。「無名の高地」から始まった彼らの旅は10万人コンサートを二日間行った北京の「鳥の巣」からニューヨークの「マジソンスクエアガーデン」まで続いてゆく。その歌の中でも「あのレコード屋はどこに消えたの」と歌っていた。彼らの「どこでもドア」はレコード屋から始まっていた。
「武道館はぼくらにとっても特別な場所です」
初めて彼らを知ったのは2001年。GLAYが東京・北海道・九州と全国三か所で開催した野外イベント「GLAYEXPO2001・GLOBAL COMMUNICATION」の時だ。北九州市で行われたオールナイト公演にアジア四か国から招かれたゲストの中に彼らはいた。デビューして3年目。台湾のライブの動員記録やCDセールスの記録を次々と塗り替えてゆく若手バンドの演奏は学生気分そのままのように溌溂としたものだった。
幸運にも、そのイベントのためにGLAYのTAKUROとTERUが事前に各地を回ったキャンペーンに取材で同行した。飛ぶ鳥を落とす勢いだったMaydayの自分たちの地下スタジオにはビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」のジャケットの巨大な写真が壁に貼られていた。日本で頂点を極めたGLAYの二人と朝まで繰り広げたビートルズ談義は、そこが台北であることを忘れさせるほどに微笑ましく熱っぽいものだった。
10年後、ワールドツアーを行うまでに成長した彼らに対して欧米のメディアが送った称号が「中華圏のビートルズ」だった。
「武道館はぼくらにとっても特別な場所です」と彼らは口をそろえて言った。
理由は二つだ。一つはそこが日本の音楽の聖地だからだ。「ずっとここでやることを夢見てきた」と言ったのは2015年の一回目の時だ。最初の日本公演を行ったのは2009年。台湾で史上最高動員を記録、世界で44本行われたワールドツアー「DNA」の一環でありながら、その時の日本公演はZEPP TOKYO。会場が小さくて各国と同じようなフルサイズのライブが見せられなかった。リベンジも兼ねて日本だけで再現したのが前回、2017年の二度目のライブだった。そのツアーのテーマが「ジョン・レノンのDNA」。そのライブを見ながら、僕らには同じ血が流れている、と思った。
武道館が「特別」であるもう一つの理由。それは会場の規模だ。「ここは近いから」。そんな感想は、日本で大会場を経験したバンドやアーティストが共通に口にするものでもある。アジア各国や欧米の大会場を経験してきた彼らにとって、もはやライブハウスのような「親密な場」なのだろう。「次は三日間」と言った時に会場が盛り上がったことは言うまでもない。
彼らの音楽が欧米のロックバンドとどこか違うと思わせるのは、流れている「達観」のようなものもあるのではないだろうか。アルバム「自傳」にも、サクセスストーリーを誇示するようなスター意識は感じられない。むしろそのことの意味や価値を問い直すようなしみじみとした内省感すらある。そこに「諸行無常」的なアジア的精神性を感じてしまうのは日本人だからだろうか。
この日のコンサートも「人生は有限、でも友情は無限」と締めくくられていた。
音楽はその国の文化だ。その国の「国勢」も当然のことながら背景にある。戦後の日本の若者がアメリカ音楽に憧れたのは、その向こうに「豊かな生活」を見ていたからでもあるだろう。Maydayの成功は、新しい「アジアの時代」の到来を物語っているようにも思う。
でも、新しい時代に「消えてしまったレコード屋」の代わりを果たしてくれるのは、どんな場所なのだろうか。
(タケ)