「武道館はぼくらにとっても特別な場所です」
初めて彼らを知ったのは2001年。GLAYが東京・北海道・九州と全国三か所で開催した野外イベント「GLAYEXPO2001・GLOBAL COMMUNICATION」の時だ。北九州市で行われたオールナイト公演にアジア四か国から招かれたゲストの中に彼らはいた。デビューして3年目。台湾のライブの動員記録やCDセールスの記録を次々と塗り替えてゆく若手バンドの演奏は学生気分そのままのように溌溂としたものだった。
幸運にも、そのイベントのためにGLAYのTAKUROとTERUが事前に各地を回ったキャンペーンに取材で同行した。飛ぶ鳥を落とす勢いだったMaydayの自分たちの地下スタジオにはビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」のジャケットの巨大な写真が壁に貼られていた。日本で頂点を極めたGLAYの二人と朝まで繰り広げたビートルズ談義は、そこが台北であることを忘れさせるほどに微笑ましく熱っぽいものだった。
10年後、ワールドツアーを行うまでに成長した彼らに対して欧米のメディアが送った称号が「中華圏のビートルズ」だった。
「武道館はぼくらにとっても特別な場所です」と彼らは口をそろえて言った。
理由は二つだ。一つはそこが日本の音楽の聖地だからだ。「ずっとここでやることを夢見てきた」と言ったのは2015年の一回目の時だ。最初の日本公演を行ったのは2009年。台湾で史上最高動員を記録、世界で44本行われたワールドツアー「DNA」の一環でありながら、その時の日本公演はZEPP TOKYO。会場が小さくて各国と同じようなフルサイズのライブが見せられなかった。リベンジも兼ねて日本だけで再現したのが前回、2017年の二度目のライブだった。そのツアーのテーマが「ジョン・レノンのDNA」。そのライブを見ながら、僕らには同じ血が流れている、と思った。
武道館が「特別」であるもう一つの理由。それは会場の規模だ。「ここは近いから」。そんな感想は、日本で大会場を経験したバンドやアーティストが共通に口にするものでもある。アジア各国や欧米の大会場を経験してきた彼らにとって、もはやライブハウスのような「親密な場」なのだろう。「次は三日間」と言った時に会場が盛り上がったことは言うまでもない。
彼らの音楽が欧米のロックバンドとどこか違うと思わせるのは、流れている「達観」のようなものもあるのではないだろうか。アルバム「自傳」にも、サクセスストーリーを誇示するようなスター意識は感じられない。むしろそのことの意味や価値を問い直すようなしみじみとした内省感すらある。そこに「諸行無常」的なアジア的精神性を感じてしまうのは日本人だからだろうか。
この日のコンサートも「人生は有限、でも友情は無限」と締めくくられていた。
音楽はその国の文化だ。その国の「国勢」も当然のことながら背景にある。戦後の日本の若者がアメリカ音楽に憧れたのは、その向こうに「豊かな生活」を見ていたからでもあるだろう。Maydayの成功は、新しい「アジアの時代」の到来を物語っているようにも思う。
でも、新しい時代に「消えてしまったレコード屋」の代わりを果たしてくれるのは、どんな場所なのだろうか。
(タケ)