日本社会への異議と英国への憧憬
翻って我が国を見れば...などと、評者は言うつもりはない。
この国の中等教育にも見るべきものは多々ある。不登校が自死に至るくらいであればフリースクールも良かろう。大学合格の実績を競うも良かろう。受験から超然として独自の教育を施すもまた良かろう。パブリック・スクールの画一的な伝統墨守ぶりと比べれば、日本の私立高校の多様性は、市民の多様性を生み出す装置として寿ぐべきものと評者は思う。
だが著者は、戦後民主主義の揺籃期に立ち会った大学教授として、彼我の違いから、日本の教育ではなく、世情そのものを指弾する。
戦後の急進的な労働運動がどのような経緯を辿り現在に至るかを知る後世の人間としては、その時代の知識人の闘いを桟敷席から観覧しているかのような感覚を抱く。時に遠慮会釈なく切り込み、時に英国紳士的に嫌みのない皮肉を込めるその文章は、イギリス文学者たる著者の面目躍如というべき本書の味わいとなっている。
著者の日本社会への異議は、英国への憧憬とシンプルな対をなす。それだけであれば表層的な自国批判にも思えようが、そこに青春期を過ごした学校生活への懐かしさが重なり、透明感ある美しい描写が展開されることで、批判のトーンが上品に和らぐこともまた本書の際立った特徴である。
著者は、鮮烈な思い出の光の中で、生徒たちが黙々と伝統行事に従事する様を回想する。そこで「民主的でない!」と異議を言わぬことがいかに当たり前かを静かに諭す文章は、戦後の狂騒が(時代として止むを得なかったものとは言え)如何に無秩序かつ粗雑であったかを振り返らせる不思議な力を宿している。
こうした書籍がロングセラーとなり、読み継がれてきたことそれ自体が、我が国のサイレント・マジョリティーの良識を示すものではあるまいか。朝鮮半島情勢が流動化している折、左傾化した隣国市民の境遇を憂慮しつつ、先人の労苦に深謝し、そして我が国市民社会の健全なることに静かな祝意を覚えるのである。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)