Hanako(4月26日号)の「りぼんにお願い」で、作家の川上未映子さんが文筆家らしいスマホ利用法を明かしている。
誰もが知っている人物、多くが行っている場所、みんなが使っているモノ...どれも随筆のテーマとして実は厄介だ。「あ、それ知ってる」「どこかで読んだぞ」というツッコミが読者から殺到する。私も新聞社にいたころ、著名人の追悼コラムを書く時は緊張した。ニワカの極みのような執筆者より詳しい人が、何万人もいるはずだから。「何だこの程度かい」と思ったところで、読者は三々五々「脱落」していく。
個人保有率で7割ともいわれるスマホを語るにあたり、川上さんはこう始める。
「言うまでもないことだけれど、スマートフォンが誕生して本当に便利になったとしみじみ思う。そのぶん自由と時間が奪われたとも言えるけれど、しかしメリットとデメリットを比べれば、いいことのほうがもちろん多い」
ふわっとした「低姿勢の一般論」で読者を優しく迎えつつ、「私とスマホ」を語る。
川上さんは周囲が驚くほどの早打ちで、「キーボードで打つのとあまり変わらない速度と精度」だという。だから生業の原稿をスマホで書くことさえある。
たとえば出産時、破水してからもiPhoneで原稿を書き続け、出産後も左手のスマホを受け皿に、見えるもの、感じるもの、考えたことを文字化していった。
文字は鮮明、意味不明
原稿だけではない。「ありがたいのは、文章をさっとメモしておけること」
小説のちょっとしたアイデア、あっと思うシーンや会話、感覚、セリフなどを、ひらめいたら記録しておく。かつてはノートに手書きでやっていたことを、いまはスマホが受け止めてくれる。これなら、私のように「達筆」すぎる自筆メモに往生することもなかろう。
打ち込むそばからデジタル文字になっていくのを見ながら、川上さんは、まだ手書きだった自作が活字になった若き日を思う。その様子にときめいた昔を。
ところが、時間をおいてスマホ上のメモを読み返した時、意味が自分にもわからないことがままあるそうだ。ちなみに最新の記述はこれである。
〈夏を過しっ死ということがめあてに〉...芥川賞作家の発想だ。笑ってはいけない。
「書いたとき、よし、これで読み間違えたり迷ったりすることはないはずだ、完璧、と思ったことだけははっきり覚えているのに......どんだけがんばっても、全く意味不明。なにを伝えるのこれ」