伴走とは一方的な関係ではない。互いが伴走者となる
以前評者は、視覚障害者のサポートを受けながら、真っ暗闇を体験するというイベント(ダイアログ・イン・ザ・ダーク)に参加したことがある。その折、途中、方向感覚を失って、自分のグループからはぐれてしまった。途方に暮れていると、突然、誰かが近寄ってきて、手をつかんで皆がいる場所まで連れていってくれた。目の見えないスタッフが暗闇の中、迷子になっている評者の気配を察し、助けに来てくれたのである。
普段、視覚に頼って生活している晴眼者にとって、暗闇はお手上げだが、視覚障害者にとっては日常である。見えない目に代わって、耳、鼻、手、足と視覚以外の感覚をフル動員して、暗闇をものともせず、活動できる。
本書では、日が落ちて見通しが利かなくなったゲレンデを晴の誘導で涼介が降りていく場面がある(冬・スキー編)。
「目が見えないというのは視覚に頼らないということだ。その代わりに晴は多くのものに頼っている。風に、音に、匂いに、皮膚に感じる僅かな気配と自分自身の感覚に。涼介は視覚を失えば何もできなくなるが、晴は視覚がなくとも多くのものを利用し、世界を見ている」
「次に何があるかを晴が教えてくれるおかげで、涼介は安心して霧の中を滑ることができる。この安心感を与えるのが伴走者の役割なんだな。まさかそれを晴に教えられるとは。今この瞬間、晴は間違いなく俺の伴走者だ」
夏・マラソン編でも、二人がゴールした後に、同様の場面が出てくる。
ランナーの内田が伴走者の淡島に語りかける。
「お前がちゃんと見てくれたら、俺にだって見えるのさ。お前は伴走者だ。俺の目だ」
淡島は思う。
「俺は伴走者だ。そして、この人が俺の伴走者なんだ」
評者には、本書の最後に綴られた次の言葉が心に残った。
「伴走者。それは誰かを助けるのではなく、その誰かと共にあろうとする者、互いを信じ、世界を共にしようと願う者だ」
JOJO(厚生労働省)