加齢が与える痛み 北方謙三さんは散歩で転んで、悔しがる

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   週刊新潮(4月19日号)の「十字路が見える」で、北方謙三さんが「加齢が与える痛み」に向き合っている。

   作家は70歳、愛犬レモンとの散歩の途中、足を痛めたというのである。

   何日おきかで通るその散策コースには、道わきに跳び下りられる1メートルほどの落差があるらしく、北方さんはそこを愛犬と一緒に跳ぶのを習いにしていた。お歳を思えばそれだけでもすごいし、さすがハードボイルドな日常だと感心するのだが、その日は着地した時に「いやな痛みが走った」そうだ。

   「骨折したとか捻挫をしたとか、そういう痛みではなかった。脳に響くような、神経的な...」。うずくまる筆者を愛犬が不安げに見る。初めての痛みは数秒で霧消したという。

   ほどなく、北方さんはそこを通らなくなった。「レモンが老齢で、跳ぶのをこわがるようになった、と勝手に理由をつけたが、実はこわがっていたのは私だろう」

   諸情報によると、愛犬はジャックラッセルテリアのメスで13歳らしい。人間でいえば70歳前後になろうか。

  • 愛犬の散歩の途中に…
    愛犬の散歩の途中に…
  • 愛犬の散歩の途中に…

1センチにつまずく

   続けて、平らな道で転んだ話である。昔の用水路に沿って敷石が連なる散歩道。あとで自ら確かめたところ、敷石の1センチに満たない落差に右足の爪先をひっかけたそうだ。北方さんの散歩は「歩いている人間に追い越されたことは、一度もない」という速歩である。勢い、転倒時の描写は、作中の格闘場面をスローで観るようだ。

「一度ひっかかった足は、前へ行く躰に追いつくことはできず、上体が路面に近づいた。転ぶのだな、と私は思った...それで私はごろりと一回転し、膝立ちで立っていた」

左膝などに擦り傷を負い、腫れが引くまで2日かかったという。

   それは、何百回も通って一度も転んでいない場所だった。「人生で転ぶよりましか」などと考えた北方さん、すぐに「自転車で転んで大腿骨を折り、それから車椅子の人になった友人」のことを思い出し、いささか深刻になる。

「くやしいなあ。転ぶ自分に抵抗できないのが、なんともくやしい」

自分を老人と思ったことはそうない、いや思わないようにしている氏はこう記す。

「もう歳だと思った瞬間に、前むきのものはすべて終るのではないか」

締めはお孫さんとの微笑ましい戯れとなるが、そちらは原文をお読みいただきたい。

老いは万人に訪れて

   ここだけの話だが、私、北方さんに似ていると言われることがある。言われるたび「そんなことないよ」と照れつつ、いわば条件反射で苦み走った(つもりの)表情を作る。ところがどうしても、ミカンと間違えてレモンをかじったタヌキのようになる。葉巻やバーボンもたぶん似合わない。ハードボイルドは一日にして成らず、である。

   その点、老いは万人にもれなく訪れる。北方さんの連載は、どこかで読者への問いかけが挿入されるのがお約束だが、今回は「君も、転んだことがあるだろう」だった。

   9歳下の私も、歩くたびに加齢を自覚する。1メートルを跳んで両手をつき、1センチにつまずく話は実感として理解できた。そうした「退化」をいかに受容し、消化するか。そこらに、初老期からを楽しむヒントがありそうだ。

   通常時の歩行速度は、老化の指標とされる。つまり年相応の歩き方があるわけだが、東京都の健康長寿医療センターの調査によると、1992~2002年の間にそれが男女とも11歳も若返ったという。健康を意識し、速めに歩く人が増えているのかもしれない。

   非情の世界を描いたものから内外の歴史小説まで、北方作品に通底するテーマは「男の死に様、すなわち如何に生きるか」だという。

   「どうだ、こんなに歩けるんだぞ」と自負する北方さん、老境へと軟着陸するのか、独りで戦い抜くのか。その作風とともに、散歩スタイルにも注目だ。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。
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