高2で「アウフヘーベン」
世代が消滅している、と思うようになった最大の要因は音楽の新旧がなくなったことだ。
旧作のCD化に端を発した音楽のアーカイブは配信時代になって決定的になった。どんな古典でも時を超えて入手できる。知りたい、聞いてみたいという意欲さえあればネットで探すことができる。すでにこの世にいない先達の演奏もサンプリングできる。全ての音楽が同列でそこには時代もジャンルもない。才能と情熱さえあればどんな音楽も自分のものに作り替えられるようになった。
彼らにすれば、そうやって出会った作品群は「過去」ではなく「未来」の新しいものとして映る。「ENSEMBLE」は、まさしくそんな「超情報化時代」の才能ある若者の作品を思わせた。
ジャケットのデザインから名作ミュージカルを数多く送り出してきたアメリカの映画会社のオープニングを連想してノスタルジーを感じる人も多いだろう。その多くが彼らの生まれる前の時代のものだ。でも、もはやそうした議論にはさほどの意味がなさそうだ。
とは言え、Mrs.GREEN APPLEをポップなアイドル性や情報や知識の消化力だけで語れないのは、歌のテーマ性にもある。たとえば大森元貴が高校2年の時に書いたという「アウフヘーベン」は、「歪んだ世界と綺麗な世界」がテーマだ。「止揚」という意味の哲学用語は高校生の時に好んで読んでいた本で知ったのだという。若さの持つ光と影を受け止めて生きてゆこうとする内省感には地に足のついた生き方を感じさせる。
形やスタイルに目を奪われない、なぜ音楽をやるのかという自問。それも早熟故の産物ではないだろうか。
年齢や世代で彼らを語ることは出来ないかもしれない。それでも強いて世代性を探すとしたら、世代がないという共通項になるのだろうか。世代なき世代、である。
そして、彼らの才能や可能性を客観的に認識できるのは、音楽に世代があった、ということを知っている世代なのかもしれない。
(タケ)