ミュンヘンで活躍していた名演奏家と出会う
そんなウェーバーは、当時まだまだ発達中だった新しい楽器クラリネットのために曲を書く気になったのは、ミュンヘンで活躍していたハインリヒ・ヨーゼフ・ベールマンという名演奏家と出会ったことがきっかけでした。1810年代のこのころ、ウェーバーはドイツ各地を転々として演奏会を指揮したりしていましたが、様々な出会いをもたらしてくれたのです。まず初めに「クラリネット小協奏曲」を2週間という驚異的な速さで書き上げ、宮廷演奏会で披露したところ、バイエルン国王マクシミリアン1世が感激し、すぐにウェーバーに本格的なクラリネット協奏曲を2曲、直々に作曲依頼をしたのです。
その依頼に見事にこたえて作曲したのが、「クラリネット協奏曲 第1番 ヘ短調 Op.73」と「第2番 ホ長調 Op.74」です。これらも、大変な速さで書き上げられ、ベールマンの独奏クラリネット、ウェーバーの指揮で、次々と初演されました。
新しい楽器と、新しい時代を切り開いた演奏家と作曲家によって世に生まれたこれらの協奏曲は、今日でもクラリネット協奏曲の重要なレパートリーとして、演奏されています。楽器においても、音楽においても「過渡期」といえる時代でしたが、だからこそ生まれるこのような名曲が存在することも、また興味深い歴史の1ページです。
本田聖嗣