若き情熱と才気がほとばしる交響曲  グスタフ・マーラーの第1番「巨人」

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作曲家ではなく歌劇場の指揮者を目指す

   ウィーン学友協会の付属音楽院で、和声・対位法・作曲・ピアノと、作曲家になるために必要な充実した教育を受けたマーラーは、ここでも才能を現し、周囲から一目置かれていました。ピアノの腕前も非凡、そして学内の室内楽の作曲コンクールでも第1位を受賞したのです。

   しかし、音楽院を卒業してマーラーが目指したのは、作曲家やピアニストではありませんでした。作品番号1をつけたカンタータ「嘆きの歌」がウィーンで行われた作曲コンクールで、審査員のブラームスなどからあまり良い評価を得られなかった、ということも影響しているかもしれませんが、彼が、ピアノ教師のアルバイト生活から脱却するために目指したのは、「歌劇場の指揮者」だったのです。

   後世の我々には「作曲家」としてとらえられるマーラーですが、同時代人にとっては、彼は亡くなるまで、「完璧主義でたびたびオペラハウス側と衝突する歌劇場指揮者」だったのです。

   20歳の時、オーストリアの温泉保養地バート・ハルの「保養地管弦楽団指揮者」からスタートした彼のキャリアは、その後スロベニアのライバッハ(リュブリヤナ)、モラヴィアのオリュミュッツ、ドイツのカッセル、チェコのプラハ、再びドイツのライプツィヒ、ハンガリーのブタペスト、ドイツのハンブルク、そして、音楽の都、帝都ウィーンへ、さらにその後はアメリカへ場所を変えながら、続いていきます。彼は常に、歌劇場の常任指揮者として、確実にキャリアを積み重ねていったのです。

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミエ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。
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