タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
もし何の予備知識もなく声だけ聴いていたら、彼の年齢を思い浮かべる人はいないのではないだろうか。太くて艶がある。華のある声というのはこういうことだと思わせてくれる深みのある声。日本語はもちろんのこと、そこに英語が加わってくると一段と流ちょうになる。まさに独壇場だ。
ラジオやテレビでの英語DJの大御所、俳優やナレーターとしても揺るぎない実績の持ち主、小林克也である。
最新のロックと風刺の効いたブラックジョーク
2018年3月27日、77才の誕生日を迎えた。
その日、彼は25年ぶりにアルバム「鯛~最後の晩餐~」を発売した小林克也&ザ・ナンバーワン・バンドのヴォーカリストとしてさいたまスーパーアリーナ内イベントスペース「TOIRO」のステージに立った。
この日は彼が毎週金曜日に9時間の生放送「FUNKY FRIDAY」を放送しているFM NACK5のリスナーを招待してのバースデイライブ。彼は「おめでとう」の声の中でアルバムの中の新曲、これまでの曲、「人生を変えた」というエルビス・プレスリーの「ハートブレイクホテル」など洋楽のカバーを交えて2時間半を堂々と歌い切った。
その姿も声も、到底77才とは思えなかった。
小林克也は、1941年、広島県福山市の生まれ。小学生の時に駐留軍放送を知って英語に目覚め、中学を卒業するころにエルビス・プレスリーに衝撃を受け、高校の時では英語部の部長だった。アルバム初回盤のブックレットでは部員の勧誘の時に「英語の勉強は大変でしょうけど、僕はプレスリーで学んでいます」と言って50人のクラブが200人になったというエピソードも語られている。
慶大の学生の時に通訳からナイトクラブでの外タレの司会をするようになり1970年からラジオのDJになった。今も続いているテレビの「ベストヒットUSA」が始まったのは81年。お茶の間に洋楽ロックを紹介した最大の功労者である。
ただ、彼がそれまでのDJやアナウンサーと決定的に違うのは76年に大阪で始まったラジオ番組「スネークマンショー」だろう。俳優の伊武雅刀も加わったショートコント入り音楽番組。まだ日本ではさほど知られていない最新のロックと風刺の効いたブラックジョークの合体は若者たちの間で爆発的な反響を呼び、YMOの80年のアルバム「増殖」にも参加している。音楽を紹介するDJが音楽そのものになっていった。
「全く音楽と言うのは正直なものですね」
ザ・ナンバーワン・バンドが結成されたのは82年。彼は作詞とヴォーカルを担当している。一枚目のアルバム「もも」には親交のあった桑田佳祐や鈴木雅之、世良公則らも加わっている。最初にレコーディングした「うわさのカム・トゥ・ハワイ」は、「ハワイにきんさい」という広島弁のラップだった。洋楽を紹介しつつ礼賛に終わらない反骨心と遊び心は彼の真骨頂だろう。
新作アルバム「鯛~最後の晩餐~」は、メジャー25年ぶりのアルバム。オリジナルメンバーで彼をバンドに誘った、当時ラジオ・ディレクター、佐藤輝夫が作曲、全ての楽器も演奏している。作詞は全曲が小林克也だ。
何しろ一曲目から「ナムアミダブツ」である。タイトルは「ナムアミダブツ IN 九品仏」。両方の言葉が「ぶつ」という韻を踏んでいるのがミソだ。レコーディングしたスタジオが世田谷区の九品仏にあったのだと言う。二人のじいさんが聞いた「仏の声」。目を閉じて最初に見える言葉こそがあなた自身、という前振りで唱えられるのが「戦争反対」。スネークマンショーの時代から彼の過激なギャグの根底に流れているヒューマニズム。その後に出てくるのが正反対の「やっちゃおう」。一人の人間の中にも世の中にもある二つの声の対比。念仏をこんな風にロックにしてしまえるのも彼ならではだ。
二曲目の「The Noh Men」は典型的なロックのハイウェイソングだ。でもモチーフになっているのは伝統芸能の能である。三曲目の「LET'S MAKE LOVE~REGGAE ONDO~」はジャマイカのダンスビート、レゲエと盆踊りのような音頭。それでいてことさらに和風を強調するわけでもない。洋楽的でありながら模倣にならない。歌うようであり語るようでもある力強さ。声と言葉の存在感が音楽のスタイルを超える。アルバム全体がそういう説得力に満ちている。
「最後の晩餐」というサブタイトルを感じさせるのはアルバムに流れている「自分史色」だろう。7曲目の「FUKUYAMA」は彼の故郷を歌っている。カエルの声色は彼が子供の時にカエルの真似がうまくて「食用ガエル」と呼ばれていたからだ。8曲目の「FOOL FOR YOU~コンチキショウ~」には三橋美智也や春日八郎も出てくる。9曲目「豊満な満月~フムフム・ヌクヌク」はハワイアンテイストで11曲目「STRAWBERRY FIELDS」はビートルズの4人がモチーフだろう。昭和を振り返ったような流れは12曲目の「夢」に繋がってゆく。77才の遺言と言ってしまうと大げさだろうか。
初回盤のブックレットの中で彼はこんな話をしている。
「自分を出そうと強く意識したつもりじゃなかったけれど、自分の内面があふれてしまっているし、いまの時代に向けた説教臭いものをやるつもりだってなかったのに、説法みたいな曲もある。全く音楽と言うのは正直なものですね」
77才。音楽は人を表し、声は年齢を超える。
(タケ)